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2006年11月28日

御膳水

 小樽方面の秘境探検には国道5号線を利用する。この5号線の銭函市街への分かれ道の手前あたりの札幌側に、御膳水という地名が目に入る。何でこんな地名があるのか少々気にかかっていた。インターネットで調べると、明治天皇の北海道行幸の折に沢水を飲んだ場所とある。その記念碑を見に行くことにする。

 記念碑は国道5号線沿いにあるらしいけれど、今まで幾度となく通過しているこの国道に、それらしきものがあったかと疑問も生じる。今回は道路脇を注意深く見て行くと、写真の道路標識の少し手前の道端にそれらしきものを認めて、車から降りてみる。

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 御膳水宮の文字の刻まれた石碑と井戸を模した石造りの記念物がある。説明文によれば明治天皇の行幸は一八八一年(明治十四年)に行われている。艦船で小樽に着き、列車で札幌に向かった時、現在の小樽市見晴町で休息した折に前述のエピソードのような事があって御膳水の地名が残り、記念の石碑等が設置されることになった。

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 御膳水宮の石碑は古いものであるらしい一方で、井戸を模した方は新しい造りのように見受けられる。国道5号線は札幌と小樽を通り函館まで伸びる幹線道路であり、交通量も多く、加えてこの記念碑の近くには駐車場もないことも手伝って、ここに立ち止まって記念碑を見る人は皆無の状況である。雪の季節に入っていて、記念碑の周囲に黄色い寒菊の花がかろうじて咲いていた。

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 この記念碑と並んで、長谷部虎杖子の句碑がある。句碑に彫られた文字が消えかかっていて、句の判読は難しいけれど、句碑の傍にある説明版に次の碑文(句)が記されている。

 車組むや 一滴の油 地にひらく

 虎杖子はサラリーマンとして勤めてから、神官となり、俳句誌「時雨」や「葦牙(あしかび)」を創刊し、俳句活動に力を注いだ。一八八七年に生まれ、一九七二年に没している。この句碑も、この場所にあれば御膳水宮と同様、ふらりと寄って見ていく人はほとんどいないだろう。訪れる人の立場から言えば、句碑のようなものは公園とか、神社とか場所を選んで建立すべきものである。

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comments

手稲前田 軽川沿いにある個人宅に天皇御立ちの碑があります。無論住宅地になってからの設置ですが5号線旧道からちょっと入ったところで当時は原野を見晴らしたのでしょうか?

  • hokka
  • 2006年11月29日 14:59

 そんな碑があるのですか。個人宅という点が気になりますが、差し支えなければ、掲示板(このブログにある掲示板のメニューをクリックして入れます)にご投稿願えると大変参考になります。掲示板は写真付きで簡単に投稿可能です。

  • aoki
  • 2006年11月29日 16:31