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2006年12月12日

バッタ塚と新川河口

 新川河口近くにバッタ塚があるという。バッタ塚は、開拓時代に起きた大災害のトノサマバッタの襲来に対処した跡で、砂地にバッタの幼虫や成虫を埋めたところであると知っていたので見に行くことにする。

 直線状に伸びる人工の川である新川沿いの新川通を、小樽の大浜海岸に向かって車を走らせ、各種廃棄物の処理場が広がる手稲区山口に入る。新川と濁川の合流点付近にある札幌市のスラッジセンターの敷地に接したバッタ塚に、途中道を間違えながらたどり着く。

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 バッタ塚は小さなパーキング場に隣接した広場の柵外にある。ススキと背の高い雑草に囲まれた石碑の表面にはバッタ塚と彫られていて、写真のように実物大の雌雄の成虫と卵のうが描かれたパネルもはめ込まれている。近くにはバッタ塚のいわれの説明板もある。

 その説明によれば、トノサマバッタは通常は空を飛ばないのに、異常発生して密度が高くなると生理的な変化をもたらし、大群で空を飛ぶ飛蝗化が起きる。一八八〇年(明治十三年)十勝に発生し、日高、胆振、後志、渡島は次々に飛蝗化したトノサマバッタの襲来を受け、一八八五年(明治十八年)まで北海道はその被害を蒙った。このバッタの大群が海を飛び越え本州までゆかないように、一八八三年(明治十六年)バッタの幼虫や成虫を石狩の浜の砂地に砂を二十五cmの畝状にして埋め、その畝がかって百列ほどあった。

 トノサマバッタによる大災害から約百年建った一九七八年(昭和五十三年)にバッタを埋めた畝もほとんど無くなっているこの砂浜の地を札幌市の指定史跡にした。虫害の歴史上で重要性を考慮してバッタ塚を建てている。しかし、ここまでバッタ塚を見に来る人はほとんどいないのではないだろうか。

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 このバッタ塚から少し行くと、新川が石狩湾に注ぐ河口がある。ここはもう小樽市で、大浜海岸のおたるドリームビーチのはずれにある。夏には海水浴客で賑わう浜辺に人は見当たらない。石狩湾の向こう側には小樽の港とさらに積丹半島の山並みが見え、シーズンを過ぎた浜辺にかもめだけが群れ、波が寄せていた。

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