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2006年12月26日

美登江開拓百年記念碑

 道路地図を見ていると、国道337号線の生振(おやふる)バイパスが石狩川を横切って札幌から当別町に入る。その辺りの石狩川に沿った土手道に「開拓百年之碑」がポツンと記されている。辺りには何もなさそうで、これは秘境候補と見に行くことにする。

 この碑は生振バイパスを挟んで、「石狩川」文学碑と反対側にある。しかし、現場ではこの土手道に出るのは通行止があったりして、地図通りには進めない。何とか国道下のトンネルや土手沿いの細い道を通って、お目当ての開拓百年記念碑までたどり着く。記念碑は農道の突き当たりに農地を背にひっそりと建っている。

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 碑文に書かれた美登江(ビトエ)の史実を振り返ってみる。この美登江に入植者が住み着いたのは一八八二年(明治十五年)のことで、本格的に開拓が始まり一八九八年(明治三十一年)には入植者の数は百十戸に達している。しかし、この年に石狩川の大洪水があり、その後も石狩川の氾濫が続き、離農者が続出して一九〇七年(明治四十年)には六十九戸までに減っている。

 昭和初期に石狩川の大改修が行われ、美登江地区が直線状になった新しい石狩川で分離され農地が減ったことと引き換えに、川の氾濫が治まり、現在の実り多い農地に生まれ変わって来ている。しかし、一九七〇年(昭和四十五年)に始まる国の稲作減反政策で水田は減り、三十六戸の農家までになった。一九八二年(昭和五十七年)にこの地への入植百年を記念してこの碑が建てられている。

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 碑の横には馬頭観音碑も並んで建っている。これらの碑を囲むように農地と農家があるだけである。稲穂が色づいていて、この時期米の収穫を迎えているのが分かる。最近の北海道の米の味は昔に比べると格段に美味しくなっている。石狩川の水を制御し、農地を拓いて、石狩川流域を日本でも有数の米どころにした果実は、先人の北海道開拓により得られたものであることをこの碑と碑文から改めて確認することになる。

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 石狩川の改修工事によりここら辺石狩川は真っ直ぐ流れていて、石狩川の増水に備えた川水の制御の仕掛けとしてのひ門が川に設けられている。写真のひ門は南三号ひ門の名盤が取り付けられていた。  

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