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2007年03月07日

特攻用舟艇出撃基地跡

 第二次世界大戦時に、日本本土へ上陸する連合軍を想定して、一人乗りの「体当たり特別攻撃艇」が造られた事実がある。ベニヤ板製の小舟に爆弾を積み込み、敵艦目がけて体当たりする戦い方である。道内には二千隻の生産計画があったそうである。

 小樽の手宮から高島岬の行く途中のカヤシマ岬に、この特攻用舟艇を海から見つからないように隠して格納しておくための洞窟が掘られた。特攻用舟艇は、事があれば洞窟内に設置されたレールを利用して海に押し出すようになっていたとのことである。

 道内では二千隻の生産計画があり、幾隻かが敗戦直前に小樽にも回航されてきた。しかし、連合軍の小樽上陸はなく、敗戦と同時のこれらの特攻用舟艇は焼却された。残ったのは特攻用舟艇出撃基地跡の洞窟だけである。

 この洞窟探検にHBCのHanaテレビ番組のスタッフと一緒に出かけることになった。小樽の高島岬へ抜ける海岸沿いの道路(454号線)はカヤシマ岬を抜けるあたりでは高島隧道でつながっていた。しかし、新しいトンネルが出来て、旧トンネルは閉鎖されていて道は行き止まりとなっている。この閉鎖された高島隋道の入口付近、つまり道路の終点から海岸に沿って少し進むと、目指す洞窟の入口にたどり着く。

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 洞窟の入口を塞ぐように土が盛られていて、中に入れるような広さはないと思っていると、実際は高さ二メートル、幅五メートル程度の立って入れる広さの洞窟である。海岸線に垂直方向に洞窟は掘られていて、奥行き三十メートルはあるだろうか。行き止まりからさらに片方へ横穴が二十メートルほど続いている。洞窟内には何も残っておらず、わずかに錆びた鉄釘と鉄のちょうつがいが岩に打ちつけられていて、当時のものかと想像する。

 三月の海岸の強風を避けた洞窟内は外に比べると格段にあたたかく、岩壁に小さなこおろぎのような虫が動いている。岩の天井から水滴が落ちてきて湿気がある。崩落の恐れもあって、一般の人は立ち入り禁止となっているらしい。

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 戦争遺跡として保存し一般に開放する運動もあるらしいけれど、崩落の危険回避とかの処置をせねばならないとすれば、費用もかかるだろうし、単なる洞窟を見せるだけならここまで人も来ないだろう。この種の戦争遺跡を残すのは困難が山積していると思えた。

 立ち入り禁止の場所であるので、都会の秘境の条件を満たしていないのだけれど、記録に残しておく必要を感じてこの探検記を書いている。 

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