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2007年06月02日

都市と天狗

 小樽の天狗山で考えた。言うまでもないけれど都市は人間の住むところ、天狗の出没するところは本来の秘境である。ならば都市に天狗が関係してくる場所があれば、これは都市の秘境とも言えそうである。

 天狗山には鼻なで天狗とか天狗のコレクションを見せる天狗の館などがある。これは天狗の名前が最初にあって、この名前に因んで観光客に楽しんでもらおうと後で付け足したものである。因みに天狗の館は天狗の面を主体にして700点を超す天狗のコレクションが展示されていている。ただ、観光ということに加えて山の上あることも手伝って、都市と天狗の重なり部分を考えて、意味のあるものを見つけ出す努力が実る場所でもなさそうだ。

 小樽に観光名所天狗山があるなら、市内に天狗に関する場所や対象があるかと探してみるとこれが無い。小樽は観光と日常の生活が分離している印象が、都市と天狗のテーマの考察でも顔を出す。観光地とはそういうものなのかも知れない。

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 都市と天狗のテーマは都市の秘境にうまく重なるので、その例を見つけたくなった。その例が札幌にあった。このような素材を拾い出すことができる多様性がある点が札幌の幅の広さを表しているようである。

 石狩湾に向かって真っ直ぐ伸びる新川を、新琴似第5横線と名前のついた道路が跨ぐところに天狗橋がある。橋のたもとに天狗の浮き彫りがあり、橋の歩道の柵部分には天狗をあしらった飾りがある。ここからは直線状の新川を見通すことができる。

 この橋が天狗橋と名付けられた由来を記した石碑があってそれを読むと、1909年(明治42年)新琴似に発寒特別教授所、つまりは小学校が設けられ、新川を挟んで対岸の発寒からも生徒が通うになった。その通学橋であることが橋の役目の一つであって、1912年頃に橋を新しくすることになった。その時の棟梁が鼻が高く、天狗のあだ名があったことから、天狗橋の名前が生まれたとの説が書かれている。生活に密着した天狗伝説であって、都市の秘境と重なる。

 小樽の天狗山の名前の起源説の一つに、鼻の高い外人がこの山に登ったのを地元の人が見たため、というのがある。天狗も元を辿れば人が介在していている。都市における賑わいも秘境も、人間の営為の結果の異なる側面が現れてきたものといえる。

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