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2007年06月06日

はまます郷土資料館

 札幌から国道231号線で北上し、浜益の港を過ぎて国道が海から山へカーブして行く辺りで、地図にも示されたように海への細い別れ道があって、ここに郷土資料館の立看板が目に入る。看板のところから海岸沿いの道が延びているだけで、道の入口からは資料館の建物は見えない。後で知ることになるのだけれど、この資料館は鰊番屋を修復したものなので、建物は波打ち際にある。

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 ともかく細い道を400mばかり進むと資料館が姿を現した。資料館になっている番屋は、かつてはハママシケ(今の浜益)で繁栄を誇った白鳥家のものであった。この番屋は1899年(明治32年)に魚場を拡大して行った白鳥浅吉が建てたものである。その後 鰊漁の衰退で番屋の役目も終わり、廃屋同然であったものを資料館にしたものである。

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 六月の上旬の日曜日では来館者もほとんどなく、この日は著者らが訪れた二組目ということで、この日の入館者は二組か三組ぐらいで終わったのではなかろうか。料金を支払う場所は原則秘境から除いてはいるけれど、ここは秘境の資料館である。

 内部は土間が仕切りとなって、親方や使用人の住むところ、漁師らの住む漁夫溜に分かれた構造となっている。資料館なので当時使用した漁具を始め、諸々の生活用品が展示されている。詰めていた案内役の人の説明で、一番の見ものはアメリカ製のカレンダー時計で、一日の時刻のみならず、曜日、月までが表示可能なものである。百三十六歳になるこの時計は、今でも時を刻みつけている。

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 濃昼(ごきびる)にあった番屋の写真なども展示されている。濃昼の地名は他所から訪れた人はまずは読めないので、写真の説明に読みのカタカナが併記されている。北海道の海岸沿いにあったこれら多くの番屋は放置され朽ち果て、資料館や移築され展示館等になったものはほんの一部である。 

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 この番屋の前には浜益の海が広がり、愛冠(あいかっぷ)の岬を望むことができる。かつてこ鰊の群来(くき)でこの浜の海が白く濁った情景を想像しようとするけれど、テトラポットで護岸された現在の海岸を見ては、想像も広がらない。

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