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2007年06月11日

石狩川改修記念碑と石狩川護岸工事標柱碑

 時に暴れ川となる石狩川の治水は北海道開拓の一大事業であった。イシカラベツ(回流する川)と呼ばれた石狩川は石狩低地帯で蛇行する川で、洪水に対処するための護岸工事が進められた。1910年(明治43年)に本格的に始まる護岸工事では、石狩治水事務所(後に北海道開発局石狩川開発建設部)の初代所長岡崎文吉が活躍した。岡崎が考案した単床ブロックを用いた護岸工事が行われ、その工事標柱が残されている。

 石狩川から切り離されて出来た茨戸川の川下に向かって右岸に工事標柱がある。茨戸川の土手に起点と終点の二基の標柱があるけれど、元の標柱は地面に横に置かれてその上をガラスで覆っている。立っているのは新しい標柱である。土手の狭い砂利道を車でやってくるのは茨戸川で釣りを楽しむ人ぐらいで、ここまでこの標柱を見るのが目的で来る人はほとんどいないだろう。

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 護岸工事だけでは石狩川の治水の根本的な対策にはならない。そこで、蛇行する石狩川をショートカットする捷水路(しょうすいろ)を設け、増水する河水を速く石狩の海へ逃がす方法を採用し、そのための工事が行われた。その結果取り残された川が茨戸川(上流)と真勲別川(下流)となり、本流の石狩川は石狩市生振(おやふる)では直線状の川に生まれ変わっている。この捷水路は石狩低地帯の氾濫を防ぎ、さらに湿地を耕地として生かすことに成功している。

 この石狩川改修記念碑が石狩川の土手を走る道道508号線沿いに建立されてある。石狩河口橋の手前からこの道路に入ってしばらく走ると標識が現れ、駐車場がある。車を降りて見ると、石狩川治水発祥の地碑を中心に、碑が並んでいる。

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 この生振捷水路は2002年土木学会選奨土木遺産に選定されている。それを記念して、遺産選定書もはめ込まれた石碑もある。この碑の他にここで目にするものは直線状に伸びた土手の上の道と緑に覆われた石狩河川敷きだけである。その景観をパノラマ写真に収めてここを後にした(パノラマ写真を拡大してご覧になるには こちら まで)。

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