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2009年01月10日

北大構内の柱街路灯

北18条で東西をつなぐ環状線は、エルムトンネルで構内の下をくぐる。上は歩道と自転車道が緑地帯を突き抜けていて、冬は歩道しか除雪が行われていない。この辺りから西の方向には手稲山などが見え、夕日が落ちた後の空は茜色に染まっている。これに街路灯の明るい光が混じり合ってくる。街路灯も柱のように円柱状のものがあり、暗くなると木立と区別がつかなくなってくる。その柱灯が点灯されると、周囲の木立とははっきり区別できるようになり、光る立木のようである。

茜(あかね)空 光を混ぜる 灯の明かり

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灯が入り 光る立木の 柱灯(はしらとう)

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2009年01月09日

平成のポプラ並木の昼と夜

 最近の構内は、景観の整備に力が入っているようである。注意してみると、洒落た街路灯があちらこちらに設置されている。人通りのあまり無いと思われる、平成のポプラ並木に沿って街路灯が並んでいる。並木と街路灯の彼方には三角山が見え、借景でここは夏場の構内の景観スポットである。しかし、雪の季節は訪れる人もいない。この場所は夜になると街路灯が点り、幻想的である。昼間は注意の向かなかった大倉山シャンツェの明かりも遠くに見え、昼とは異なった様相を見せる。

整列す ポプラ、街灯 雪絨毯

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街灯は 輝き並木 闇に溶け

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2009年01月05日

日米加の雪

 クラーク博士は札幌農学校教頭として、1876年(明治9年)7月から翌年4月まで札幌に滞在したので、札幌の冬を経験している。明治の札幌の雪は現在より多かったに違いない。クラーク博士の教えを直接受けなかった札幌農学校の二期生の新渡戸稲造は、国際連盟事務次長として国際的に活躍してカナダの地で没している。構内にある顕彰碑には「I wish to be a bridge across the Pacific.」の新渡戸の言葉が刻まれている。活動の地の米国やカナダの雪はいかなるものだったろうか。

博士見た 明治の雪は いかばかり

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架け橋の 米国加国 雪いかに

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2009年01月04日

凍てつく木

総合博物館横のローンには、大きな楡の木が葉を落として冬空に立っている。葉がないと枯れ木のように見えるけれど、春には緑が戻ってくる。気温が零下になれば木も凍りつく。凍りついた木が死なずに、春に解けても木の細胞が生命をつないでいるのを、耐凍性が有るという。人生の冬に凍りついても、また生き返る耐凍性があればと思ってみる。そう考えると、木も人のようでもある。片側に枝を伸ばした木の形が、何か腕を伸ばして意志表示をしている人の姿にも見えてくる。

凍(こお)りても 耐凍性で 春芽吹く

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人に似て 枝片側に 伸ばしおり

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2009年01月01日

元旦の北海道神宮の巫女たち

 元旦に初詣の写真を撮りに北海道神宮に行ってみる。大勢の参拝者が境内を歩いている。冬なので皆防寒具を身につけていて、色が暗いところに、巫女が白の上着に赤の袴で横切っていくと、その紅白の色の鮮やかさが目立つ。本殿を囲む回廊の縁起物の売り場には、巫女達が売り子になって客の注文を捌いている。たぶん、年末年始のためのにわか仕立てのアルバイトの巫女達なのだろう。売り子の仕事にも慣れてきたのか、手際よく客の注文に応じて、お守りや破魔矢を売っている。

元旦や 巫女の袴の 寿(ことほ)ぎて

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破魔矢売る 巫女の手さばき 慣れ来たり

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2008年03月18日

雪来たり これ楽しきや 北の友

 北大創基125周年を記念して2001年に建てられた施設で、施設名は「遠友夜学校」に由来している。この学校は札幌農学校の二期生の新渡戸稲造とメリー夫人の私財で始められ、学業に就けなかった若者達を対象にした夜学校であった。1894年(明治27年)に始まり、北大生もボランティアで先生役を務めた。「遠友」は論語の「友遠方より来る、また楽しからずや」から採られている。現在の施設は、学生や市民を対象にした講座が開かれているようで、雪が遠来の友のように見える。

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名の由来 夜学から来て 灯の点り

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2008年03月10日

シルエット 増す構内に 灯(ひ)の点り

 北大構内の象徴的中心はクラーク像のある辺りになり、像の背後の中央ローンは冬は雪で覆われている。周囲にある古川講堂、旧札幌農学校校舎、農学部、総合博物館等の由緒ある建物が見え、この環境に合うように作られた現代製の街路灯が設置されている。夕暮れが迫ると夕空はまだ明るいのに、農学部の建物はシルエットに変っていく。古川講堂はその特徴ある屋根がそろそろ夕闇の中に消えて行きこうとしている。暗くなっていくのに反比例して、街路灯の明るさが増していく。

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現代の 灯(ひ)点る背後 古学舎

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2008年03月03日

読書室 時代移りて 図書刊行

 農学部の建物に接してこの建物がある。1902年(明治35年)に建てられた建物で、1965年まで北大の中央図書館の役目を担っていた。有形文化財に指定されているこの建物は、白壁に赤い屋根のかつての読書室に二階建てのレンガ造りの書庫がつながっている。現在は北海道大学図書刊行会が入居している。昔は学生が読書で、現在は学術書の出版のため利用されていて、いずれにしても書物に関する建物である。赤い屋根、白壁、レンガ色、どれも雪景色に調和する色である。

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書庫なれば 本を蔵して 農学校

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2008年03月02日

中央路 学の王道 農学部

 北大は構内が広い。数字では176 ha、東京ドームの38個分だそうである。この広さになると、雪の季節に構内の道を確保するのが大変そうである。しかし、雪で覆われた構内に冬だけできる道を歩いてみるのも面白い。北大の発祥の学部の農学部前の道は、この歴史のある建物の正面につながっていて、学問の王道を歩いているような雰囲気がある。クラーク博士が北大に農学の基礎を持ち込んだモデルバーンのある第二農場は、今年の大雪で雪道が深い雪の壁でできていた。

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大雪で モデル農場 道深く

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2008年02月17日

建学の 学の権威の 建屋(たてや)なり

 北大のルーツには札幌農学校があり、1872年(明治5年)東京芝に開拓使仮学校が設立され、1876年(明治9年)米国マサチューセッツ農科大学長ウィリアム・S・クラーク博士を札幌に迎えて同校が開校している。1880年にはわが国最初の農学士13名が誕生しており、後の北大農学部につながっていく。北大の建学の権威を示す農学部の建物は、筆者がこの大学に入学した時目にしたものと、卒業後も同大学で研究と教育に携わり退職後見たものが、ほとんど同じたたずまいである点に学問の連続性を感じた。

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2008年02月16日

恵迪の 迪(みち)に雪あり 寮の跡

 かつて恵迪寮のあったところの近くに碑があり、碑面には寮名の由来になった句が大書されている。それは「書経」から採られたもので「恵迪吉従逆凶惟影響」で、「迪(みち)に恵(したが)えばこれ吉、逆に従えは、惟(こ)れ影響」と読む。意味は、「天の道に則っていれば吉であり、そうでなければ凶となる。これは形あるものには影が現れ、音には響きが生ずるように、瞬時に、しかも確実に結果となって現出するものである。」 とするのが定説とされている。碑に近づくには雪が地面を覆っていて邪魔をしていた。

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