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2010年07月 アーカイブ

2010年07月23日

風景社印・eシルクロード研究工房

eシルクロード研究工房(e-Silkroad Atelier:eSRA)
房主:青木由直
札幌市北区北6条西6丁目 第一山崎ビル3F9号室
都市秘境コンテンツ取材、IT・ビジネスセミナー開催(eシルクロード大学)
URL:http://esre.sblo.jp

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 当工房は工房主(房主(ぼうず))が2005年に北大退職と同時に設立している。2005~08年は札幌市エレクトロニクスセンターでeシルクロード大使館の事務局を兼ね、2008年からは現住所に移転している。2006年から定期的IT・ビジネスセミナーの「eシルクロード大学」を開催しており、2009年度は4期生が修了見込みである。

 房主は都市秘境作家でもあり、これまで札幌市と近隣都市の都市秘境の取材活動を行っており、北海道新聞社や共同文化社から都市秘境の著書を出版している。その活動の延長線上に、本著作がある。2010年のHokkaido Super-Clusterカレンダーに、工房のロゴが掲載されている。

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 デザインにある碑は、北大の学部生のための寮であった楡影寮の閉寮20周年を記念して2004年9月に建立されたものである。北大恵迪寮の寮歌「都ぞ弥生」の歌碑のある場所近くに、楡影寮は建っていた。楡影寮の記念碑はかつて寮のあった敷地の前の林の縁に建てられている。

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 記念碑建立委員会委員長の役目が房主に回ってきて、建立場所や碑石の選定の他に、元寮生からの碑文の募集なども行った。楡影寮の歴史に始まる長い碑文もあり、短いものもあった。碑文は色々のものを勘案して「ここに僕らの棲み家があった/ここで学んだ 語った 歌った/そして時が流れた/楡影の青春を偲んで/オバンケルの息子たち」の5行が碑文として、黒御影石に刻まれ、記念碑にはめ込まれている。楡影寮の略譜は石碑の別の場所にはめ込まれている。石碑に彫られて楡影寮の文字は、当時の北大総長中村睦男先生の揮毫である。記念碑が建立された年度が、全国の国立大学の最後の年度となり、翌年度からは国立大学法人に移行し、北大もその例外ではなかった。

 碑文にある「オバンケル」とは、寮の賄い婦の「おばさん」の呼称の日本語と、ドイツ語のおじさんの「オンケル (Onkel)」の合成語である。どういういうものか、当時寮生はドイツ語の単語を会話に取り入れていれていて、食事の「エッセン」、女性の「メッヒェン」とかあって、寮歌の歌い出しの合図も「イチ、ニ、サン」を「アイン ツバイ ドライ」で始めていた。これは現在も残っていて、寮歌の歌い出しで耳にする。

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 楡影寮の近くに、教養部の学生寮である木造二階建て、四棟の恵迪寮もあった。恵迪寮は1905(明治38)年に建てられ、1907年に恵迪寮と命名されている。この時から数えて100年目の2007年に、記念行事の一つとして「都ぞ弥生」の歌碑が新しくなっている。恵迪寮では、毎年寮生が寮歌の作詞・作曲を行っており、「都ぞ弥生」は明治45年度の寮歌である。
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風景社印・㈱福本工業

企業名   株式会社 福本工業
代表者   福本義隆
住所     札幌市白石区平和通17丁目北3-24
創立年         1986年
主な製品・業務    建設業用パッケージソフト『The見積当番』  建設業用SaaS 
URL            http://www.fukumoto.co.jp   


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 当社の地域周辺には、風景社印のデザインにある『ウッドサークル』をはじめ、訪れる人は滅多に居ないと言ったら失礼ですが『ノーモアヒバクシャ会館』や『白石亭』など物悲しい佇まいを感じられる都市秘境と云うに相応しい場所が多々あります。

 会社の事務所と云うのは、本来であれば人通りが多い賑やかな場所で、ハツラツ元気に営業しているものなのでしょうが、当社周辺は行き交う人も無くシーンとして秘境じみてます。 この忙しなげな時勢に静かであると云うのも捨てがたいもので、朝晩のノンビリ散歩のコースとして心身の健康には最適です。

 そんな中での一番のお気に入り散歩コースが風景社印に画かれているこの場所なのです。

 そこには、世にも珍しい北海道開拓時代の陶管の墓があります。
 今にも宇宙の彼方に飛んで行きそうなロケット型の陶器で作られた墓なのです?
 100年もの昔に、今日の宇宙時代を予言していたかのようです。


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 このロケット型の墓や十字架型の墓の奥の広場に直径十数メートルの円形状に樹木が植栽されてます。

 この円形樹木植栽を私は、『ウッドサークル』と名付けました。
 この謎の『ウッドサークル』の周辺には巨大な土管が東西方向、南北方向と埋められていてその土管の中心にも樹木を植えた痕跡が見受けられます。 誰が?何のために?これほどの大掛かりな事をしたのでしょうか?この精緻な構造、天に何かを伝えるが如くの配置、このような造形は伊達や酔狂で作ったものとは思われません。


 謎のこの空間は、先史時代の遺跡であるストーンヘンジ、もしくはピラミッドやタージ・マハルのような霊廟のようなものなのではないのかと私は推察しました。主として樹木と土管で構成してあり、諸般の事情で経費や労力は過剰にならないように配慮した感はありますが、人生を共に暮らしたかけがえのないどなた様かの死を悼んで作ったのではないのでしょうか?

 ある秋の日の夕暮、ここを散歩してました。
 荘厳に煌めく夕日に照らされた瞬間、言葉には言い尽くせないような至福に包まれた感じになりました。大地と格闘して懸命に生きていた開拓時代の人々の悠久の自然に対する畏敬の念が天に通じているのでしょうか?
 あの夢のような記憶の光景をデザインした風景社印を持てることは、ありがたいことです。

 先日、テレビの報道番組でここの風景が紹介されました。

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 これを契機に、このような謎の空間、『ウッドサークル』周辺が都市秘境における地域遺跡としてこれからも大切にされる事を願ってやみません。
(文と写真 福本義隆)

2010年07月29日

株式会社カスケード

社名:株式会社カスケード
代表取締役社長:服部裕之
住所:〒004-0862 札幌市清田区北野2条2丁目20番1号
社員数:11名
創立年:1990年設立
主な製品・業務:デジタルデータ制作のための情報システムの構築ならびに運用、実制作
HPのURL:http://www.e-cascade.biz/

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