eシルクロード研究工房(e-Silkroad Atelier:eSRA)
房主:青木由直
札幌市北区北6条西6丁目 第一山崎ビル3F9号室
都市秘境コンテンツ取材、IT・ビジネスセミナー開催(eシルクロード大学)
URL:http://esre.sblo.jp
当工房は工房主(房主(ぼうず))が2005年に北大退職と同時に設立している。2005~08年は札幌市エレクトロニクスセンターでeシルクロード大使館の事務局を兼ね、2008年からは現住所に移転している。2006年から定期的IT・ビジネスセミナーの「eシルクロード大学」を開催しており、2009年度は4期生が修了見込みである。
房主は都市秘境作家でもあり、これまで札幌市と近隣都市の都市秘境の取材活動を行っており、北海道新聞社や共同文化社から都市秘境の著書を出版している。その活動の延長線上に、本著作がある。2010年のHokkaido Super-Clusterカレンダーに、工房のロゴが掲載されている。
デザインにある碑は、北大の学部生のための寮であった楡影寮の閉寮20周年を記念して2004年9月に建立されたものである。北大恵迪寮の寮歌「都ぞ弥生」の歌碑のある場所近くに、楡影寮は建っていた。楡影寮の記念碑はかつて寮のあった敷地の前の林の縁に建てられている。
記念碑建立委員会委員長の役目が房主に回ってきて、建立場所や碑石の選定の他に、元寮生からの碑文の募集なども行った。楡影寮の歴史に始まる長い碑文もあり、短いものもあった。碑文は色々のものを勘案して「ここに僕らの棲み家があった/ここで学んだ 語った 歌った/そして時が流れた/楡影の青春を偲んで/オバンケルの息子たち」の5行が碑文として、黒御影石に刻まれ、記念碑にはめ込まれている。楡影寮の略譜は石碑の別の場所にはめ込まれている。石碑に彫られて楡影寮の文字は、当時の北大総長中村睦男先生の揮毫である。記念碑が建立された年度が、全国の国立大学の最後の年度となり、翌年度からは国立大学法人に移行し、北大もその例外ではなかった。
碑文にある「オバンケル」とは、寮の賄い婦の「おばさん」の呼称の日本語と、ドイツ語のおじさんの「オンケル (Onkel)」の合成語である。どういういうものか、当時寮生はドイツ語の単語を会話に取り入れていれていて、食事の「エッセン」、女性の「メッヒェン」とかあって、寮歌の歌い出しの合図も「イチ、ニ、サン」を「アイン ツバイ ドライ」で始めていた。これは現在も残っていて、寮歌の歌い出しで耳にする。
楡影寮の近くに、教養部の学生寮である木造二階建て、四棟の恵迪寮もあった。恵迪寮は1905(明治38)年に建てられ、1907年に恵迪寮と命名されている。この時から数えて100年目の2007年に、記念行事の一つとして「都ぞ弥生」の歌碑が新しくなっている。恵迪寮では、毎年寮生が寮歌の作詞・作曲を行っており、「都ぞ弥生」は明治45年度の寮歌である。