2008年09月23日
アンテナ銀座に鎮座する手稲神社奥宮
四季折々見上げる手稲山頂上にアンテナが林立しているのが札幌の市街地からでも見てとれる。大都会を見下ろす1024mの手稲山は、放送電波を伝播させる上で重要な場所を提供している。ここは日本の放送技術史でも記録に残る地であり、その記念碑が二〇〇七年に建てられている。
放送にはアンテナが必要であり、世界に誇る日本の発明のアンテナが東北帝国大学の八木秀次教授と宇田新太郎講師により生み出され(論文発表は一九二八年)、八木アンテナ(あるいは八木・宇田アンテナ)と呼ばれている。このアンテナの実用機が一九五七年(昭和三十二年)北海道放送(HBC)により手稲山の山頂に設置された。実用機としては国内第一号となっている。
記念碑は「第一号スーパーターンスタイルアンテナ」の名前で、約二分の一に縮尺したアンテナのモデルが空に突き出した形となっている。設置したのは八木アンテナ㈱で、HBCの無人の送受信所の敷地内に設置されている。近くには現在利用されている民法各社とNHKの各種アンテナが並んで建っている。
アンテナの近くの一角に空き地があって門と表札が残っている。表札には「北大雪物理観測所」とある。人工雪の研究で有名な中谷宇吉郎とその弟子の孫野長治が研究のため建設した観測所の跡である。この観測所は先に民放の送受信所がこの山頂にあったため、山頂への道路の利用や放送所への電力を分けてもらえることから可能になった経緯がある。手稲山は雪物理研究の聖地でもあった。
手稲山の頂上には一等三角点が設置されていて、三角点の礎石がコンクリートの囲いの中にある。この三角点と並んで手稲神社奥宮が建っている。小さな社で社名の石柱と鳥居は新しそうである。祀られているのは大国主命で、縁結びの神様でもあるとのことで、縁結びを観光客へのキャッチフレーズにしている。
この神社は北海道では一番高い所にあるのも売りで、確かにここから北の方角には札幌市、石狩市、石狩湾新港、当別町、江別市等々と見晴らせる。見事な眺めである。目を転じて南側には羊蹄山まで視界に納めることができる。
手稲山は一九七二年の第十一回冬季オリンピック札幌大会の舞台にもなっている。その時の聖火台が、競技の勝者の名前が刻まれたレリーフがはめ込まれて残されている。この原稿を書いている時は北京オリンピックの真っ最中で、三十六年前には手稲山でも北京で行われている熱い戦いがあったとは、人の訪れることのないこの聖火台の傍では思いを巡らすのが困難である。