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2008年10月31日

クラーク像を追って

 北大にはクラーク会館と名前がつけられた建物がある。名前がついているのでこの建物を、クラーク先生を祭る神社かその精神を広めるお寺にでもなぞらえると、その本尊はこの建物の二階のロビーにあるクラーク先生の像であろう。戦後クラーク像が復元されて中央ローンの角に設置されていて、その復元を手がけた加藤顕清が制作したクラーク像がクラーク会館に置かれているものである。付属図書館北方資料室に石膏のクラーク像が保管されていて、制作者も制作経緯も不明である。

本尊は 名前冠した 建屋内

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作不詳 何故ここに 著名像

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2008年10月30日

新琴似界隈の昔から現代へ

 11月29日の都市秘境巡りは地下鉄南北線の終点の麻生駅集合で、駅近くの新琴似の昔から麻生の現代を見て歩きました。今回は歩く距離が長く、参加者の一人が万歩計で計測した結果を教えてくれましたが、一万歩を超えていました。

 まず新琴似神社の境内と境内に隣接している屯田兵中隊本部の見学です。この本部の建物の中は資料館になっているのですが、見学日は休館日でした。事前に申し込みを行って、特別に内を見せてもらいました。屯田兵の子孫であるという責任者が来て説明してくれました。

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 屯田兵は北海道に三十七中隊が編成され、一中隊約百名だったそうです。各中隊本部で中隊長と下士官が仕事をする中隊本部の建物が建てられ、現存するものは三棟と聞きました。秘境巡りの講座では、今回の他に江別市野幌の中隊本部の建物を見学しているので、これで二例目です。この中隊本部の建物の周囲は屯田兵時代とほとんど同じだそうで、建物と周囲が保存されている点が特色です。

 展示室には昔の農作業に使った農器具や生活用品の展示がありました。建物はバルーンフレーム方式なので、二階は屋根裏のような空間になっています。狭い階段を登り二階も見学しました。

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 中隊本部から歩いてJR新琴似駅を通り創成川水再生プラザまで行きました。途中のJR新琴似駅前広場には、かつてここにあった新琴似農協倉庫のレンガで造られたモニュメントがありました。この倉庫は1960年に建てられ、1997年に取り壊されています。

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 麻生球場の横を通って水再生プラザに着きましたが、この球場と隣のテニスコートの地下には沈殿池等の下水処理施設があります。また、水再生プラザの敷地内には一等三角点があり、この三角点を説明しました。

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 水再生プラザで受付に出た女子職員が筆者の講義を受けていた卒業生であったのは少々驚きました。この施設では下水が処理されて行くプロセスに沿って、施設内の作業現場を回りながらの見学です。見学路でも臭いがして、下水処理の現場である実感が湧くところです。汚れた汚水が処理過程で次第にきれいになっていく様子を、案内役の職員がサンプルの水を示しながら説明してくれました。

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 水再生プラザに隣接した下水道科学館にも足を伸ばしましたが、すでに二時間になっていて、科学館では下水処理の三次元ビデオのアニメを見ただけでこの日の見学は終了で、出発点の地下鉄駅に戻りました。

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2008年10月29日

クラーク博士の大志

 クラーク博士の固有名詞は即「大志」の言葉に結びつき、具体的なイメージは、今や羊ヶ丘の右手を伸ばした立像になっている。この像は坂坦道が制作している。観光で訪れた子供がこの立像のポーズをとっているのが、大志を形だけ真似しているようにも見える。寄贈されたクラーク博士のブロンズ像が北大の保険管理センターある。制作者は畑満で、台座のところに一句彫られていて、「かげろうや 大志の若人 楡の幹」とある。かげろうも消え、大志は部屋の隅に収まっている。

形だけ 大志を真似る 子供あり

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かげろうの 大志おさまり 部屋の隅

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2008年10月28日

クラーク像の歴史

 中央ローンの角にあるクラーク像は、一九二六年、寮歌に詠まれた憧れの地で、創基五十年を迎えた北大の記念事業の一つとして建てられた。制作は田嶼碩郎(たじま せきろう)である。このブロンズ像は第二次世界大戦時に金属資源不足を補うために調達され、戦後再建された。既成のキリスト教の様式から独立した、札幌独立キリスト教会に残っている田嶼による原型を基に、加藤顕清の責任で制作された。加藤は石膏のクラークを制作し、これが大学本部の大会議室に置かれている。

信仰に 独立の実の 育ちたり

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憧れの 地に種を蒔き 見続けて

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2008年10月27日

スールストロミング

 当別町にスウェーデンヒルズと名づけられた地域がある。スウェーデンハウスと呼ばれる、北欧を連想させる住宅と芝生の庭で統一した家々が造られた団地から命名されている。スウェーデンの名で同国とのつながりがあり、秋にはスールストロミングの試食会などもある。この食べ物はニシンの発酵食品で、その臭さが話題になるものである。怖いもの見たさ、いや食べたさで集まった参加者は、庭で缶詰を開けるところを先ず撮影している。噂に違わない臭いが辺りに漂ってくる。

缶の中 発酵ニシン 出番待ち

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食すより 撮るが先なり この臭さ

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 人間達の行動はとても理解できないし、試食会の行われている庭のこの寒さでは、バッグの中で静かにしているのが一番、という参加者もいました。

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2008年10月26日

新琴似屯田兵中隊本部

 新琴似屯田は一八八七年(明治二十年)に始まっている。入植した屯田兵の大多数は九州から新琴似の地にやってきて、家族も伴っている。温暖な地から寒冷の泥炭地にやって来て、開墾を行う苦労がいかに大変なものであったのは想像に難くない。開拓魂は九州ゆずりということになる。屯田兵の組織の中心にあった、中隊本部の建物が新琴似神社の境内に接して残っている。バルーンフレームと呼ばれる建物の二階から見える窓外の景色は、屯田の時代にはどんなものであったろうか。

拓魂は 九州ゆずり 碑に残り

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屯田の 時代はいかに 窓の外

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2008年10月25日

手稲記念館

 この記念館にはバッタ塚の土地を切り出した標本があり、写真を撮りにゆく。ついでに館内の展示物を見て回る。昔の生活用具などがあり、比較的新しいものでは足踏みミシンがあった。電動ミシンしか知らない世代なら、このミシンの使い方は判じ物だろう。使ったことはないけれど、運ぶのを手伝わされたことならある。結構重たい機械である。この記念館にはステンドグラスがはめ込まれているのに気がついた。ステンドグラスは緑でも、窓外は緑の季節が駆け足で去りつつある。

足踏みの 記憶の在りて 記念館

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窓外は 緑の季節 駆け抜けて

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2008年10月24日

風雨の日

 夜半から風雨である。朝窓の外を見て、この天気ではどこかに行く必要もないと、落ち着いた気持ちになる。しなければならない仕事もあるのだけれど、これは自分の都合に合わせればよいことなので、気分的には朝からだらだらしている。窓の外の写真などを撮って爪句をつけてみる。風雨に曝(さら)された残りの黄葉も、散り足を早めている。葉が散ってしまった裸の木は木の裸体でもある。室内の裸婦像(像名は「ジーンズ」であるけれど全裸像にしかみえない)の樹木版である。

風雨日は 庭木を撮りて 句作なり

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秋風雨 庭木葉落し 裸木なり

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サクシュコトニ川の秋

 北大構内を流れるサクシュコトニ川は人工の川で、藻岩山の山裾辺りから、水を地下トンネルで北大の中央ローンまで導いて来て地上に放流させ、源としている。小川の水を集め、流れが次第に太くなる自然の川とは異なり、この人工の川は流れが次第に弱くなっていく。百年記念会館の辺りでは流れが止まっているようにしか見えない。芝生の手入れも行き届いていて、枯葉が見えるものの、季節も人工的景観の中で歩みを止めているようである。止まった流れに弱い秋の日が反射している。

人工は 季節と水の 流れ止め

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止川水 秋の弱日が 顔を出し

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2008年10月23日

秘境を歩こう講座ー銭函

 「身近な秘境を歩こう」講座の08年秋の3回目は銭函コースです。JR銭函駅集合で今回は15名全員が参加で、欠席者がいないのは珍しいことです。JR銭函駅のプラットホームには「銭函」をデザインした駅名の案内が吊り下げられていました。

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 駅の近くの軟石造りの石蔵の喫茶店「大阪屋」を外側から見ました。壁にある魚は「八角」です。この喫茶店に、コースの終了後に受講生の何人かが寄ったはずです。講師の私は帰りの電車に駆け込んで乗ったので、何名が帰りに大阪屋に寄り道したのかわかりません。話は戻って、大阪屋から豊足神社に行き、境内に置かれている、爆破された日露戦争時代の機雷の残骸を見ました。

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 豊足神社から国道5号線まで行き、長谷部虎丈子の句碑と、石で社を模した御膳水宮を見ました。御膳水宮の碑の傍の、井戸の形の造りには水は湧き出るとは思われないのに、背後にひしゃくがあったのはちょっと解せませんでした。雪解け頃には、山からの水があるいは井戸に溜まるのかな、とも考えるのですが、周囲の状況からそんな感じもしません。ただ、がけのところに樋があって、ここから水が流れ出る季節があるのかもしれません。

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 御膳水から歩いて銭函にある「職業能力開発大学校」を見学しました。説明役は同校の恩田邦夫教授と佐藤龍司教授でした。見学時間も充分ではないので、簡単な説明を受けながら見て周りました。

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 機械学科の実習室で恩田先生が説明している様子です。国立大学より学費が安く、確実に技能が身につく大学校で、就職先での評価も高いので、この大学校の理解を深めてもらった上で、支援をお願いしたい旨の説明がありました。大学に限らず、高等教育機関はどこも大変な時代を迎えているようです。

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 情報技術科の佐藤先生の研究室では、ホログラフィーの像再生を見ながら、佐藤先生からホログラフィーの講義を受けました。かつての私の研究テーマがホログラフィーでもあり、私もこの技術について少々説明しました。原理はわからなくても、こんな技術が研究されているのだという点は、参加者にも理解できたはずです。

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 例年なら寒さの中を歩くことになったかも知れなかったのに、この暖かさで、歩くだけでも楽しい日でした。

2008年10月22日

私の年賀画廊

 「秘境を歩こう」の3回目は銭函方面に行く予定で、見学先の一つに職業能力開発大学校を組み込んでいる。この大学校のホログラフィー研究室などを見せてもらう予定である。これは隊長がかつて研究でホログラフィーに関係していたためである。当日、ホログラムを表紙に刷り込んだ隊長のスケッチ集を参加者に配る予定で準備している。

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 表紙のホログラムは、コンピュータ・グラフィックスで三次元表示をした利尻島を基にして作っている。このスケッチ集の表紙のため、稚内まで行って利尻島をスケッチした思い出がある。このときに稚内富士見の郵便局で消印を押してもらった切手を表紙にスケッチと一緒に並べて印刷している。消印は昭和63年9月30日となっている。

 翌年の昭和64年の1月には、昭和天皇が亡くなって、平成元年が始まっている。平成1年2月3日の消印は1 2 3 が並ぶ。この日に郵便局に行って押してもらった消印をこのスケッチ集の裏表紙に印刷している。昔はこんなことに一生懸命だったのかと、古いスケッチ集を取り出してきて思っている。

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2008年10月21日

暖秋のコスモスと白菊

 コスモスが残り少なくなって咲いている。白菊は今が盛りと集団になって人目を惹いている。花に主役も脇役もないけれど、ピンク色の大柄の花が白い小さな菊の花に取り囲まれるようにしてあると、何か主役を演じているようにも見える。今年は暖かい秋で、雪虫もこの陽気では出たり引っ込んだりである。しかし、もうすぐに晩秋から初冬に季節は移っていき、初雪のニュースも流れるだろう。コスモスの白い花と白菊を見ていると、その白色が雪の季節の前触れのように感じられる。

脇役と 主役の区別 色でつけ

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暖秋も 白色目にし 雪予感

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秋の御膳水

 五号線で札幌の星置から小樽の銭函に入るころに御膳水という地名がある。1881年(明治14年)の天皇行幸で、艦船で小樽に着き汽車で札幌に向かった明治天皇が、沢水を飲んだという言い伝えからこの地名となった。御膳水宮と彫られた石が道路脇に置かれているけれど、車が通り過ぎるだけで、訪れる人も居ない。この碑と並んで長谷部虎丈子の句碑があり、「車組むや 一滴の油 地にひらく」の句がある。句碑の前に寒菊が咲いていて、殺風景な秋の景色に色を添えていた。

参詣は 落ち葉のみなり 御膳水宮

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一滴の 油に代わり 菊ひらく

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2008年10月20日

ハロウィンの季節

 欧米ではポピュラーなハロウィンの行事が、日本でも浸透してきているのかな、と思ってみる。今風に言えばスイーツの店、つまりはケーキ屋あるいはお菓子屋の店頭に、十月末日のハロウィンの飾りつけがしてある。ハロウィンには仮装して、手にする行灯はかぼちゃを刳りぬいて内にローソクを点したものが典型のようである。大きなかぼちゃなら置物用になる。花屋の店先にそんなかぼちゃが置かれてあって、刳り抜く所の指定か、黒く目や口を表面に描いたものが置かれている。

ハロウィンの 飾りに惹かれ 菓子を買い

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行灯の 刳り抜く場所か 黒目口

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2008年10月19日

ポプラの詩

 野幌公民館の横のグリーンモールを抜け、三番通横切って湯川公園に到る小道に「ポプラの詩」と題された裸婦像が立っている。人通りもなく、ライラックの花が咲いていて、のんびりと彫刻とその周囲を眺める。ブロンズ像を見ると、モデルの目はライラックを見つめているようでもなく、他のところに視線が行っている。見上げるアングルで写真を撮るとブロンズ像の肉感が迫ってきて少々艶かしい。制作者の名前を探して西村栄一を見つける。ここからは湯川公園は目の先にある。

眼差しは どこに泳ぐか リラの花

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コメントしたついでに

見上げると 肉感迫る ポプラの詩

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百年記念会館横の池

 北大創基百年を記念して、一九七七年にこの会館が建てられた。一階のロビーには北大百年史に関する資料などが展示されている。会館の横には、規模は小さいながら庭園風の造りになっていて、池がある。秋ともなると落ち葉が池の水面に落ち、一面に浮かんでいる。飛行艇みたいな落ち葉、葉行艇とでも呼んでおこうか、が枝から離れての飛行で無事水面に着水したかのようでもある。水面のキャンバスに枯れ枝が描かれていて、物足りないので黄葉を描き加えたようにも見える。

池の上 着水するや 葉行艇

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水画布で 枯れ木に黄葉 描き足して

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2008年10月18日

東に朝日、西に月

 雨上がりの朝散歩に出かける。東の空にある朝日は霞んだ大気の中に赤い円になって見える。朝日の様子から今日の天気を予測してみたりする。赤い太陽は次第に輝く太陽に変化してゆく。この様子なら今日は晴れの一日かと思う。西の方に目を転じると月が山際にかかっている。十五夜を過ぎているので月は欠けて来ている。蕪村の「菜の花や 月は東に 日は西に」の句が浮かんでくる。この句は春の夕暮れであるけれど、目の前の光景は秋の朝であるので、句の情景には合っていない。

東空 朝日かすみて 雨上がり

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西の空 月が欠けゆき 秋深く

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定山渓の秋

 秋の定山渓に遊ぶ。錦秋は陳腐な言葉であるけれど、錦が溢れる定山渓の秋の表現として、錦秋に代わる言葉もみつからない。ならば、錦の字でも並べて一句作ってみようか。錦橋では文字通り谷の両側の紅葉や黄葉が錦を織り成している。狭い橋の上で行き交う自動車に気を配りながら写真を撮る。渓流橋では、彼方の定山渓ダムに貯えられた水が放水される迫力の光景を見る。水しぶきが橋の上に飛んできて、橋の周囲だけに霧が湧いているような中で写真を撮りながら歩いて渡った。

錦秋に 錦溢れる 錦橋

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しぶき霧 渓流橋を 渡り終え

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2008年10月17日

きまぐれな秋の天気の中島公園

 2008年秋の秘境を歩こう2回目の講座は、中島公園の鴨々川に沿っての秋の探勝行といった趣です。地下鉄南北線の出口から公園に入り、山内壮夫の「森のうた」の彫刻観賞から開始です。この時間には天気は快晴で、天気予報も午前中は晴れマークで、この後雨が降るとは露も考えませんでした。

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 公園内の日本庭園にある八窓庵は、雪囲いの工事が始まるため、庭の部分には入れませんでしたが、通り道から十分近づいて見ることができました。ここでは八窓庵の来歴の説明です。八窓庵をバックに記念撮影です。

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 日本庭園に隣接して豊平館があり、拙著「爪句@都市のデザイン」を配って五稜星のテーマでこの建物の解説です。豊平館の内に入ってさらりと見学です。見事なシャンデリアを吊っている天井の部分の飾りと部屋の名前が一致しているのを発見しました。

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 豊平館を出て、鴨々川に沿って歩き、道すがら渡辺淳一文学館を外から眺めました。原則無料の場所を訪ねて歩く方針なので、有料の施設はパスします。

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 鴨々川は黄葉に彩られて見ごろでした。きれいな河水が滔々と流れていて、大都会札幌の自慢できる川です。護国神社では推定樹齢880年のイチイの老木や戦没者の鎮魂の碑などを見て周りました。この頃から空に雲が広がってきて、俄か雨となり、護国神社の本殿のところで雨宿りです。

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 雨宿りの最中に爪句の句作の解説などを行いました。雨もそのうち止んだので、今回の最後の見学場所の幌平橋まで足を伸ばし、ポートランド広場の彫刻の観賞です。この橋には橋の上にさらに橋があるので、そこに登り、豊平川を見下ろしました。

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 今回は中島公園内の彫刻探訪でもあったのですが、コースを鴨々川寄りに選んで、資料に用意した彫刻群を見るのを失念してしまいました。途中の雨宿りもあって、彫刻見学に戻る時間が取れず二時間の講座を終えました。

2008年10月16日

豊平峡ダムのキャット・ウォークから見た放水

 定山渓ダムの中の通路を「びむ」氏が言い当てたので、ついでに普通、部外者が立ち入ることが出来ないようなダムの施設の写真を載せておきます。豊平峡ダムはアーチ型ダムで、ダムの壁のところに「キャッツ・ウォーク」と呼ばれる通路があります。猫しか通れない、といった意味です。この通路からダムの放水を間近に見た経験があります。水しぶきもさることながら、ダムの真下をみての涼感は大したものでした。

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トンネル

 巨大なコンクリートの構造物の中のトンネルを歩いてみてきました。それがどこなのかは想像に任せます。それにしても人間はこんな大きなものまで造るのか、というのが感想です。

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仁王像

 苗穂地区にある大覚寺の山門に仁王像が立っている。仁王の赤い身体に白いものが張り付いていて、最初鳥の糞かと思った。案内役の僧に聞いてみると、これは唾や水で濡らした紙つぶてが乾いたものだそうである。自分の身体の悪いところに対応する仁王の身体に、濡らした紙つぶてを投げて当て、直るように祈願する。こうなると仁王も医者の役目を果たしている。手稲地区の祥龍寺の山門の仁王像は筋肉隆々の身体つきで、仁王もボディビルで身体を鍛えているのかと思ってしまう。

身体(からだ)張り 仁王医者なり 紙つぶて

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ボディビル 成果は仁王の この身体(からだ)

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2008年10月15日

秋の紅桜公園

 紅桜公園に開拓神社の碑と鳥居があったので、本殿があるのか見に行ってみる。紅葉の季節が真っ盛りで、釣堀の水面に写った木々を見ると、本物は水中にあるのか、空を背景にしているのか区別がつかないほどである。水中の木から葉が落ちて、水面で止まったようにさえ見える。写真の上下を逆転させてみてもさほど気にならない。患っている白内障は、逆転の写真の上の方を本物と見ている程度なのかと思ってみる。開拓神社の方は本殿の代わりに「山乃神」の石碑があった。

水中の 木から散る葉が 水面(みなも)浮き

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白内障 この程度かと 試し見て

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宮丘公園の秋

 公園が枯葉で覆われる光景は何回見たことだろうか。デジャビユゥを毎年経験している。木の葉の枝との別れは何千万回、何億回繰り返されてきたことだろうか。散った葉は土に還り、又枝から新しい葉が生まれる。透明で見えない春夏秋冬の季節の精達が、誰も座っていない公園のベンチに腰をかけて、ゲームをしている。カードを表にすると木々の葉の色が変わっていくのではないだろうか。今度は私が親だと、秋の精がカードを配り、そのカードが木々の葉を色付かせているようだ。

デジャビユゥ 億万回の 葉の別れ

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ベンチには 春夏秋冬 精座り

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2008年10月14日

黄葉と雲

 見事な秋の黄葉や紅葉には、視線が吸い取られる。色づいた木の背後にある秋空、特に雲が秋の景観には欠かせない脇役、いや場合によっては主役である。緑の葉を煮ていくと黄色になり、それも焦げるほどまで煮て、その湯気が立ち上ったようにも見える雲が上にある。秋の空は油断ができず、今まで雲ひとつない空と思っていたら、いつの間にか雲が沸いていたりする。朝空にかなり厚い雲がかかっていると、色づいた山や街の地上の秋色を雲が吸い取っているようにも感じられる。

焦げ黄色 葉を煮た湯気の 立ち上り

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地の秋を 朝空雲が 色吸いて

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伝統の古河記念講堂

 古河鉱業は足尾銅山鉱毒事件を起こし世間の非難を浴びた。その贖罪も込めて同社は国立大学に当時のお金で百万円を寄贈し、その一部が当てられて一九〇九年に現在に残っている古河記念講堂が建てられた。林学教室として誕生した洋風の建物で、玄関内の窓枠に“林”の字のデザインを見ることができる。建物の前には中央ローンがあり、クラーク像もこの建物とペアのようになって設置されている。伝統の建物の傍らで楡の木が色づいて早々に葉を落とし、壁の白を引き立てている。

伝統は 窓に林の 文字残し

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年毎に 重なる落ち葉 白ペンキ

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2008年10月13日

石炭車の記憶

 かつて北大の暖房が全て石炭に頼っていた頃、夏から秋にかけてSLに牽かれた石炭車が構内を通っていた光景が記憶に残っている。必要があって、その時の写真を新設された大学の文書館に探しにゆき、四点ばかりをコピーして来る。SLが走っている場所は農学部の果樹園があったところである。今、その場所はどうなっているかと見に行くと、線路のあった場所は直線道路になっていて、傍らの柵には蔦が色づいている。線路の先は花木園に変わっていて線路を思い出す跡もない。

この光景 記憶にありて 石炭車

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SLの 走りたる道 蔦赤く

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朝の山道の物語

 雨の降らない朝であれば、宮丘公園につながる山道を散歩する。朝日が林の木の間から顔を出す。朝日に当たった木々は明るく輝く。朝日と朝日で輝く周囲の写真を撮ると、光を発するものが地中にあって、ここから光が漏れてきているようにも見える。地中に何か光輝くものが埋まっていて、光に近づいてみると、それは…といった物語の最初のシーンのようでもある。種々の色に変化して重なる木の葉は日本画の色調で、物語の挿絵を空に広げた和紙に岩絵の具で描いているようだ。

光あり ここから始まる 物語

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天空の 和紙に描(か)きたる 挿絵なり

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2008年10月12日

鉄道の日

 十月に入っての三連休の初日、十一日は鉄道の日(十四日)に代えてJR北海道苗穂工場の公開日となった。家族連れが普段は入れない工場に集まって来る。見学用に置かれた列車の横でフリーマーケットも開かれている。本物のSLもミニチュアのSLも人を乗せて走るサービスを行っている。アトラクションもあって、苗穂小学校の生徒が和太鼓演奏を披露している。構内に置かれているSLの駆動輪は和太鼓の音を昔レールの上を走った時の音に重ねて思い出しているようでもある。

賑わいは 鉄道の日の 自由市

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和太鼓の 音の思い出 駆動輪

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植物園の芝生

 北大植物園は都心の季節の変化を確かめる格好の場所である。都心の秋はどのくらい進行しているのか見に行ってみる。芝生がきれいに刈り取られていて、その筋目が寄せてくる波の波頭のようにも見える。芝生の上に落ち葉も見られるけれど、植物園の木々が本格的に色づくのはもう少し先のことのようである。カラスが芝生の上に群れているけれど、何をしているのかわからない。芝生を刈った後に食べ物でも落ちているのだろうか。芝生の波に乗って泳ぎ遊んでいるようにも見える。

芝生上 寄せ来る波頭 秋の波

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芝生波 カラス泳ぐや 植物園

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2008年10月11日

秋のクラーク像

 北大にクラーク像は五つある、というのを調べていて、中央ローンの角にあって今や北大の象徴ともなっているブロンズ像が二代目であることを知る。元々は一九二六年(大正十五年)北大創基五十年記念事業の一つとして建立され、田嶼碩郎制作である。第二次世界大戦時に金属資源不足を補うために調達され、現在のものは戦後に復元されたものである。このクラーク像は季節の移り変わりがよく見える場所に設置されていて、落ち葉を撮る彼方にクラーク像が被写体で入ってくる。

ラーク像 秋景色見て 二代目なり

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落ち葉見て 遠目に入る クラーク像.

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散り際の花と紅葉

 木の葉は散り際に色を変える。炭酸同化作用という木の生命維持機能を受け持つ葉の役目を終えたことを、色が変わることで周囲に宣言して散っていく。一方、花の方は色が薄くなっても花の元の色を残して散っていく。花であったことの誇りを持ちながら終わりを迎えるように。人の散り際は、色の変わる葉のようであるのか、色を保ったままの花のようであるのか。花も葉も秋の季節のあわただしい走りに付き合って伴走しているようで、一日毎に変化をみせながら散っていく。

花真似ず 散り際の葉の 色変わり

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花も葉も 秋の走りに 伴走し

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2008年10月10日

植物園の秋の気配

 植物園は都心にあるせいか、秋の訪れがすこし遅いような気がする。秋がどの程度植物園に及んでいるのか確認のため入園してみる。園内の幽庭湖には水の流れがあり、水辺の木々の葉も色づき始め、秋の気配は濃厚である。しかし、こんな景色を大都会の都心部でみることができるとは、札幌という都市の親自然性を感じる。この時期、平日の園内には人もまばらで、散策している人のショルダーバックの色が、未だ黄色や赤色に染まっていない植物園で、秋の色を先取りして肩にある。

見つけたり 都心の自然 秋そこに

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秋の色 肩に先取り 植物園

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八窓庵

 徳川家に仕えた大名の小堀遠州の作といわれている八窓庵は、二〇〇五年に雪の重みで覆いのプレハブが倒壊し全壊した。その後復元工事が行われ、建物自体の工事が終了して、二〇〇八年の十月に覆いの建物を造る作業の前の一週間程一般公開された。その機会を捉えて見学してきた。窓が八つあることから八窓庵と呼ばれる茶室の切妻部分に「忘筌」(筌は魚を捕る道具で手段は忘れよの意味)の扁額が架かっている。三分庵と呼ばれる部分は八窓庵が札幌に移築時に加えられている。

忘筌(ぼうせん)の 教え見下ろす 八窓庵

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札幌で 付け加えたり 三分庵

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2008年10月09日

落ち葉

 庭木で一番先に見事な紅葉を見せてくれるモミジの木がある。傍に同じ種類のモミジがあるにもかかわらず、この木だけが赤い服を着て、一足先に秋モードへ対応である。庭の落ち葉を掃き片付ける人の方も、偶然か上着が赤いものになっている。緑が薄くなった地面に落ち葉が散乱しているのを見ると、秋がここまで進んでいるのかと認識を新たにする。落ち葉を撮る自分の影が、朝日で地面の上に長く伸びる何気ない風景に、足早でやって来る枯葉の消える季節の予感がする。

落ち葉掃く 上着紅(くれない) 染まりたり

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影予感 落ち葉消え季節(とき) 近づきて

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2008年10月08日

身近な秘境を歩こう講座開始

 第三回目になる道新文化教室の「身近な秘境を歩こう」の講座が始まりました。本日は受講生の初顔合わせですが、これまでの講座の継続受講生もいて、出席をとっただけで本日の目的地まで歩いて行きました。受講生は十五名で、四名欠席です。

 最初の見学先はNTTドコモ北海道支社のモバイル・ソリューション・ワールドと名づけられた展示場で、最新の携帯電話とその利用方について、同社の鷲尾氏が説明してくれました。なお、鷲尾氏はeシルクロード大学の三期生でもあります。

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 アルコール検知を行い、センサーからの信号を携帯で送る実験コーナーなどでデモを見せてもらいました。お財布携帯の体験コーナーもあり、携帯をかざして自販機から飲み物を取り出します。取り出した飲み物はサービスということで、これにはドコモ北海道さん有難う、です。

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 続いて、札幌市博物館活動センターを見学です。このセンターの目玉はサッポロカイギュウの化石と復元骨格標本です。札幌が海の底であった時代から現在の札幌になるまでの、きわめて長い地球史の解説をスタッフが説明してくれました。

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 札幌の山を構成する岩石、動物、植物、昆虫などの展示もあり、大陸が地続きであった時代に南方からやって来た動物や植物と北方の大陸から渡って来たものが、海であった札幌のところで、別々に棲み付いたとの解説も勉強になりました。

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 博物館には標本作りはかかせないもので、植物の標本作りの現場などを覗かせてもらいました。普通は見学者は入れない保管室も見せてもらいました。鯨の骨、鉱物、化石、昆虫と、多くの標本の素材や標本が所狭しと置かれてありました。これらを整理する学芸員やスタッフの方の苦労が推測できました。

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雨上がり

 イヌサフランは秋に花だけが咲く。葉の方は春に花を付けずに出て来る。何か花と葉が別居しているみたいである。葉に毒があり、葉が似ている山菜のギョウジャニンニクと間違えて食べられ、事故があったりする。花に雨滴の残りが残っていて、雨上がりの秋のさわやかを演出している。花の上を見ると、こちらは紅葉の赤色の葉の先に雨雫が落ちそうになってかかっている。この時期、一雨毎に気温は低くなって行くようで、紅葉の赤色の度合いが気温の温度計のようにも思える。

イヌサフラン 別居の花に 雨雫

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赤の先 雫のかかり 雨上がり

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2008年10月07日

小別沢トンネル

 大都会札幌の中央区というと市街地ばかりかと思うと、西側には山間部が広がる。中央区宮の森から西区小別沢に抜ける辺りは大倉山やよこして山で遮られ、小別沢トンネルを利用することになる。もし、このトンネルがなければ、両地区は山道を使うより他なく、それが大変であるのは大倉山から小別沢につながっている遊歩道でもある程度実感できる。

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 この遊歩道の小別沢トンネルの上部辺りに標識があり、かすれた文字で小別沢トンネル上の文字が読み取れる。ここから遊歩道を通って小別沢に下りると、民家が見えてくる。この民家の近くに旧小別沢トンネルの入口があり、以前はこの旧トンネルを利用して中央区と西区の往来がなされていた。二〇〇三年四月に新トンネルが開通していて旧トンネルは閉鎖された。

 旧トンネルは地元の人達が必要に迫られて、一九二八年頃に素彫りで二年間かけて百mほどを貫通させたのが始まりで、その後鉄筋やコンクリートで補強されて利用されてきた。この旧トンネルが使われていた頃、トンネルは心霊スポットとして有名になって、トンネルを通ることが肝試しにも使われていた話が伝わっている。

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 現在でも小別沢側からはトンネルの入口付近までは行ってみることができる。小別沢から新トンネルに入る直前に旧道の入口があって、右折してこの道に入っていくと旧トンネルの手前で行き止まりになる。少し高いところに祠がある。何を祀ってあるのかわからず、取り残されたような祠である。

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 旧トンネルの入口はペンキの塗られた板で塞がれている。板の隙間から覗いても中は暗くて何も見えない。心霊スポットの雰囲気が伝わってくる。トンネルの幅から自動車はこの旧トンネル内ですれ違うことができただろうか、夏はともかく冬の雪の季節にはこのトンネルの通行は可能だったのだろうか、などなどの疑問も湧いてくる。

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 旧トンネルにつながる旧道沿いの道端にガラス製の看板が置かれている。「やぎや」の文字がみえる。これはレストランで、店名の通り山羊を飼っていて、山羊乳酵母パンなどがメニューに加えられてる。山の斜面の草地には山羊が放し飼いにされているのを見ることもできる。

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 旧トンネルの中は歩くことが出来なかったけれど、新トンネルは歩いてみた。新トンネルは二百三十mの長さで、歩道も付いていてトンネル内を歩くのに危険は感じない。新トンネルは心霊スポットとは無縁のところであった。

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2008年10月06日

屯田防風林

 開拓時代、石狩湾から吹き込んで来る冷たい風や吹雪を防ぐため、防風林が造られ、今でも残っている。現在では周囲の宅地化が進んで住宅に囲まれた防風林は、役目を防風から市民が憩う緑地提供に変わってきている。北区の屯田地区にある防風林内には遊歩道が延び、散歩している人を見かける。防風林内の写真を見ると、カメラを傾けて撮っている印象である。これは風を受けた木が傾いているせいで、今でも防風林が本来の役目を果たしているのを証明しているかのようである。

大都会 防風転じ 遊歩道

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風受ける 木の傾きて 防風林

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五天山公園

 五天山公園は、採石場があった五天山の削られた山肌に緑を戻して、一帯を公園にする計画によって造園工事が進められている。工事は現在も進行中で、パークゴルフ場は既に利用されている。完成は来年(二〇〇九年)に見込まれ、市民も公園化に参加である。この公園をツツジの名所にしようと、秋も深まった日曜日にツツジの植樹会が行われていた。採石跡の階段状の山肌に緑が戻るのはこれからである。ピラミッドのような五天山の上を流れる雲は深まる秋情報の掲示板のようである。

採石山 ツツジで覆うか 植樹会

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流れ雲 深まる秋の 掲示板

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秋の花

 十月に入れば朝は寒くなる。赤いキクの花が集団で咲いていると、燃える火を連想する。しかし、手をかざして暖を取るまで連想は広がらない。コスモスも秋の花で、コスモスと同じような系統の色のキクが一緒に咲いていると、お互い競い合っているようでもある。花の競い合いは、見る方は歓迎である。元々コスモスは外国から来て、日本に定着した花である。花びらや葉が細かく集まっているキクに比べて、大柄な花びらで葉の少ない茎が伸びているコスモスは外国原産の感じがする。

赤き色 火の連想や 寒き朝

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コスモスが キクと張り合う 季節なり

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2008年10月05日

大家と未世出アーティストのギャラリー

 都市秘境の条件の一つとして、自由にアクセス出来る場所や対象というのがあり、言葉を変えていえば無料で見られる場所ということである。公的な場所や施設でも、有料のものは原則都市秘境の対象から除いている。そこで無料のギャラリーで、大家と未だ世に出ているとは言い難い(ここでは「未世出」の造語を用いている)アーティストの好対照のギャラリーを採り上げてみる。

 本田明二は札幌市内の公共的場所でもその作品を見ることができる彫刻の大家である。一九一九年に空知館内月形村に生まれている。札幌第二中学校(現西校)を卒業して上京、彫刻家を志し、その後札幌に定住して創作活動を続け、北海道文化賞を受賞している。一九八九年に享年六十九歳で亡くなっている。

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 本田明二ギャラリーは南十五条西十三丁目の住宅街にある。内に入ると入り口のところに本田明二の顔のブロンズ像がある。これは札幌を代表する彫刻家本郷新が制作している。本田が六十歳になったのを記念して開いた彫刻展に寄せた本郷の一文が、ブロンズ像の後ろの壁に掲げられている。これを読むと、おおらかな性格であったようである。

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 ギャラリー内部は一階に「スタルヒンよ永遠に」の大きな石膏像があり、そのブロンズ像は旭川市総合体育館前に設置されている。五輪大橋に設置されている「栄光」の男女像のミニチュアの石膏像もある。「栄光」像の方は顔がデフォルメされていて、顔からは男女の区別がつかないけれど、身体の特徴から区別をつけることができる。五輪大橋に設置されている像は石の像である。

 螺旋階段を登ると二階には事務机があり、パソコンに向かっている女性がいる。本田明二の娘さんで、このギャラリーの管理者でもあるようだ。彫刻の大家といっても、どこからか運営資金が出て来る訳でもなさそうで、入館無料のギャラリーを維持するのも大変だろうと、いった感想をちっと述べただけで、突っ込んだ質問はしていない。

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 大家の対極にある未世出の画家の卵、奥井理(みがく)の作品を展示したギャラリーは中央区旭ヶ丘五丁目にある。彼は札幌西校卒業後美大を目指して東京で勉強中に交通事故で亡くなっている。十九歳の短い命であった。両親が遺作の展示場として二〇〇三年「奥井理ギャラリー」を創立している。

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 ギャラリーに入ると、奥井理著の画文集が机に積んである。十年前に出版された「十九才の叫び」と最近出版された「地球人生はすばらしい」が目につく。画文集の背後にある人物画は自画像であろうか。この部屋はカフェにもなっている。ただ、ギャラリーは時々コンサートホールとして貸し出されるようで、訪れた土曜日は、明日のコンサートの練習が行われていて、カフェはお休みであった。このコンサートは三十六回目を数えるそうである。

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 ギャラリーには画文集「十九才の叫び」の表紙になった大きな油絵も飾られている。その他未世出の画家の遺作がこのギャラリーに存在場所を確保している。美術評論家ではないので、作品についての適当な批評が出てこない。しかし、肉体が消えても作品がこのように残るのは、彼の良き理解者の両親がいたればこそ、であるとの思いが強かった。

 彫刻の大家と未世出の画家の卵のギャラリーが、歩いてもさほど苦にならない距離にあるとは、その対照の妙が都市の秘境のテーマになるものであると思えた。

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2008年10月04日

大野池

 中央ローンから流れ出すコトニサクシュ川が、工学部横で一休みするような池がある。北大の都市伝説の講演で、建築が専門の若い研究者の講師が、大野池の話題を持ち出し、学生が「ひょうたん池」と呼んでいるのは心外で、大野池と呼ぶべきだ、という話が記憶に残っている。この固有名詞は、この池の周囲の環境整備に貢献した工学部長だった故大野一男先生に由来する。名前の話はともかく、この池は季節を映す鏡となっている。池が姿を消す雪の季節には未だ間がある秋である。

秋空が 池深く掘り 鴨浮かぶ

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水鏡 秋の気配を 反射して

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軽川(がるがわ)

 軽川と書いて「がるがわ」と発音するそうである。それにしても、最初この呼び方を教えてもらわないとこうは発音できない。細い川で源は手稲山にある。堤防に川に関する案内版があり、飾りには桜とサケがデザインされている。この川幅でも秋にサケが遡ってくるのを見ることができるのを説明しているようだ。しかし、その機会を捉えるためには終日川面を見張っている必要がありそうで、特に今年は川を遡るサケは少なく、その機会を得ることは難しそうである。

細き川 サケ遡(のぼ)るかと 川面見

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軽川の 飾りにサケ居て 遡上見ず

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2008年10月03日

曇り日の秋の色

 秋も深まって、朝日が当たれば輝くだろう秋の色も曇り空では色はくすんでいる。しかし、デジタルカメラの性能はたいしたものである。日の光が弱くても、自動的に調節してそれなりの写真にしてくれる。この時期鬼灯は葉が少なくなって、実覆う殻の橙色が目立っている。紅葉(もみじ)は気温が急速に下がるとそれに比例して赤色が鮮やかになる。曇り空なので赤色の彩度は落ちるけれど、それでも「二月の花より紅」の譬えは実感できる。天気が回復したら再度撮影してみよう。

鬼灯(ホオズキ)の 橙色(とうしょく)目立ち 秋深く

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曇り空 紅葉の色の 彩度落ち

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リンゴ園で

 三角山の麓にリンゴ園がある。秋になると採れたリンゴの直売を行っている。宣伝しないリンゴ園のようで、知る人ぞ知る、といった感じである。リンゴを買うついでに、広くもないリンゴ園で、赤く色づいたリンゴを撮る。変わり易い秋空は、青色に白い雲が貼り付けられていて、雲の部分がどんどん変化している。太陽の光を受けて実ったリンゴは、まるで空から赤色を吸い取ってしまったかのようである。写真の撮り方では、リンゴは実物というよりCGで描かれたようにも見える。

天空の 色を吸い取り この赤さ

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CG(シージー)で 描いた如き リンゴの実

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2008年10月02日

一坪ギャラリー

 軟石造りのギャラリーがオープンしたとの新聞記事を読んで気にかけていたので、都市の秘境のテーマになるかと出向いてみる。狸小路と背中合わせの西6丁目の南向きの通りに面して、一部軟石の木造の建物があった。白いペンキで塗られたドアが軟石にはめ込まれている。ドアには「New Star」の文字が表示されている。これがギャラリーの名前なのだろう。

石造り ドアの新星 期待込め

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 この英語の名前を訳すれば「新星」で、アーティストの新星誕生を願っての命名かな、とも思ってみる。内は畳二枚をつなげた細長い空間で、通路がギャラリーに転用されている感じである。ここから新星が誕生するとも思えないけれど、持ち主のアーティストに対する善意がつまっている空間である。

ドアを開け 新星いかに 目を凝らし

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 当然というべきか、この空間に客は居なかった。居てもこれでは同時にこの空間を占有するのは苦しいところである。ギャラリーの空間ばかり気をとられていて、後で思い出すに、展示されていた絵の記憶は薄い。展示されていた絵は壁の張り紙のようだった印象である。この特異空間のギャラリーで鑑賞者の目を絵に向けさせるには、よほど力のある絵でなければ無理だろう。

一坪の 特異空間 客の無く

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北海道鉄道技術館

JR北海道の苗穂工場内に鉄道技術館がある。レンガ造りの建物の横に、昔の停車場のプラットホームを連想させる造りがあり、SLが置かれている。鉄路を驀進したこの巨体は、技術の粋を集めて作られた。SLがその技術史を乗せて、現代の北海道の鉄道新技術開発に挑んでいるこの工場内に止まっているのは象徴的である。模擬プラットホームには腕木式信号機があり、紅白の格子状に塗られた信号版が見える。昔はプラットホームで駅長が紅白の二本の旗で安全確認を行っていた。

この巨体 技術史乗せて 停車中

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紅白は 信号の色 腕木式

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2008年10月01日

手稲山のヤマハハコ

 平和の滝の登山口からの手稲山登山道は山頂の手前でガレ場が続く。やっとの思いでガレ場を抜けて一息つく。秋が足早にやって来るこの季節、山頂付近は紅葉や黄葉で色づいているかと期待していたが、緑の方が未だ優勢で紅葉はところどころに顔を出す程度である。全山が色づくのはもう少し先のようで、その時期の前後には手稲山の山頂に初冠雪が報じられる。山頂近くでは色づいた葉の代わりに、白い花が咲いている。帰宅して図鑑で調べるとヤマハハコの花のようである。

ガレ場抜け 一息ついて ヤマハハコ

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紅葉と 白き花見て 山頂に

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意外な場所での石川啄木の像と歌碑

 石川啄木は一九〇七年九月十四日から二十七日まで札幌に滞在した。時に二十一歳である。この二週間ほどの滞在であるにもかかわらず、札幌には啄木の像や歌碑を散見することができ、今でも人気の歌人である。

 啄木の腰掛けた姿のブロンズ像と歌碑が大通公園にある。歌碑には札幌の街を詠んだ三行詩(短歌)

  しんとして幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ

が刻まれている。「石川啄木歌碑」の揮毫は歌碑建立当時の板垣武四札幌市長であり、歌の文字は札幌在住の書家中野北溟が筆をとっている。大通公園のトウキビ売りは札幌の秋の風物詩になっているけれど、啄木が居た当時の札幌でもトウキビを焼く匂いが街の路地にでも漂っていたのだろう。

 写真の啄木像は春先のもので、トウキビの匂いは辺りにはない。「春先は 何がにほふか 枯れ木立」である。この写真の背後にある北海道旧拓殖銀行本店の建物は、北洋銀行大通支店となり、現在は建替えのため取り壊されてない。啄木の像の方はそのままである。このブロンズ像は坂坦道が制作している。坂は、月寒展望台に立っていて、今や札幌のシンボル的像にもなっているクラーク博士像も作っている。

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 ブロンズ像は、元になる像から石膏で型を取り、ここに銅の合金を流し込んで作るため、何体か同じ像が作られる。大通にある啄木像と同じものが「財界さっぽろ」社の社屋内にもある。大通りの啄木像は雨や雪により緑青が像の表面を覆っているのに対して、屋内にある像は作られた当時の色を残しているようである。

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 啄木の胸像が街路からビルへの通路部分にあるのはあまり知られていない。JR札幌駅の西口に面した、昔は路面電車が走っていた通りを北に少し進んだところにあるビルの一階のオープンスペースに、ガラスのケースに入った啄木の胸像が置かれている。どうしてこの場所かというと、啄木が札幌を訪れた時の下宿先が北七条西四丁目四番地田中サト方で、胸像の置かれている場所であったことによる。

 この像と一緒に、啄木が勤務先の新聞社の「北門新報」に寄稿した「秋風記」の一部が記されていて、「札幌は寔(まこと)に美しき都なり。」の一節がある。現在は、この辺りはJR高架下の繁華街が鼻の先にあって、詩人が美しいと感じた昔の札幌の面影はない。

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 天神山緑地の平岸天満宮の裏手に、札幌平岸林檎園記念歌碑として啄木の次の三行詩の歌碑がある。

 石狩の都の外の 君が家 林檎の花の散てやあらむ

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 ここで、君が家と歌われたのは、函館で啄木が代用教員をしていた時に思いを寄せた橘智恵子の実家のことである。智恵子の父の橘仁は札幌元町でリンゴ園を経営していて、当時のリンゴ園があった場所にリンゴ栽培の功績を顕彰する「林檎の碑」が建っている。この碑の碑文の最後の部分に上記の啄木の歌が記されている。

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 歌に詠まれた智恵子とはどんな顔をしていたのだろうか。林檎の碑のあるところから歩いて十分ぐらいのところに、札幌村郷土資料館がある。庭にはこの地に役宅のあった札幌開拓の功績者、幕吏大友亀太郎のブロンズ像や、この地がかつて玉葱の産地であったこともあり、玉葱記念碑がある。この資料館のガラスのケースに智恵子の写真を見つけた。

 昔の人の写真なので、現代の女性のメークとは異なっている。しかし、恋多き啄木が思いを寄せた女性であれば美しかったのだろう。啄木の札幌での足跡を辿るようなところに入り込んで智恵子に行き当たり、古い記録や民具で埋まる資料館でこの写真に出会ったときには、ああ貴女が、という思いが強かった。

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