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2008年10月10日

八窓庵

 徳川家に仕えた大名の小堀遠州の作といわれている八窓庵は、二〇〇五年に雪の重みで覆いのプレハブが倒壊し全壊した。その後復元工事が行われ、建物自体の工事が終了して、二〇〇八年の十月に覆いの建物を造る作業の前の一週間程一般公開された。その機会を捉えて見学してきた。窓が八つあることから八窓庵と呼ばれる茶室の切妻部分に「忘筌」(筌は魚を捕る道具で手段は忘れよの意味)の扁額が架かっている。三分庵と呼ばれる部分は八窓庵が札幌に移築時に加えられている。

忘筌(ぼうせん)の 教え見下ろす 八窓庵

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札幌で 付け加えたり 三分庵

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