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2007年04月30日

入り組んだ市境界

 地図を見ていると、発寒川に沿った札幌市と石狩市の境界は激しく入り組んでいる。これは行政区の境界を原始河川に沿って定めたのが、河川の改修が行われ、行政区が札幌市と石狩市となった後でも境界は昔のものが引き継がれたためであろう。札幌市と北広島市の間もこのような入り組んだ境界が地図に描かれている。

 では、このような入り組んだ市の境界では地図の境界通りの管理が行われているのだろうか。例えば、ここは札幌市、ここは石狩市と主張する標識みたいなものが立てられているのだろうか。もし、そうなら道路に沿ってそれが並んでいるのは面白い光景であると現地に調査に行くことにする。

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 選んだ場所は、地図にある札幌側は屯田町、石狩市側は花川東の発寒川に隣接して遊水池のところである。ここは水辺のふれあい広場という公園になっている。遊水池は二つあり、地図では第一遊水池は石狩市に、第二遊水池は札幌市側に属している。小さな橋が発寒川に架かっており、これは石狩市側に組み込まれている。公園が二市に分かれているとすれば、管理も大変ではなかろうか、それぞれの市の標識が公園内にあるのだろうか、と思っていたところ、現場で目にしたものは予想外のものだった。

 ふれあい広場の発寒川縁には遊歩道兼自転車道があって、前述の橋のたもとには標識が立てられている。どの標識にも札幌市の文字が入っている。地図では石狩市になっている場所が札幌市の管理下にあるようだ。管理上からこの方が自然であろうと思えた。が、不自然な点も目についた。橋のたもとに異様に標識が多いのである。その一本、一本に札幌市の文字が入っている。その数は十本にも及んでいる。人のほとんど通らないこの小さな橋のたもとに、ここは札幌市であると強力な意志表示を行っているようである。

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 では橋を渡って地図上でも石狩市側には石狩市の名前のついた標識のひとつもない。この対比は際立っていて面白いけれど、滑稽でさえある。市が地図上の境界に添わないで実質的管理を主張する努力は、地図上の境界を現状の河川に合わせて描きなおせばそれで済むものを、それが簡単にいかないためなのだろう。

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 地図問題はさておいて、遊水池や発寒川には朝から釣り人が集まって来ていた。フナや時には鯉が釣れるそうである。橋の上から見下ろした川は濁っていて、魚影は見られなかった。見上げると、川上の方向に未だ雪を頂いた手稲の山並みが4月の青空に映えていた。
 
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開拓之碑と伊達邦直主従北海道移住の地碑

 日本海に沿って北上する国道231号線で石狩河口橋を渡り、八幡から厚田町が石狩市と合併したことにより石狩市となっている聚富(しっぷ)に入ると、直ぐに道路脇に「伊達邦直主従北海道移住の地碑」の案内板が目に入ってくる。案内に従って左折すると、「開拓之碑」と彫られた碑や馬頭観音像が道路脇にある。

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 開拓之碑の碑文には、第二次大戦後国の農地改革の方針に従って、聚富の地の排水・灌漑施設を作り客土を行い農道整備しながら開墾が進められ、その完成をみたのを記念して、聚富開拓農業協同組合が建立したものであると記されている。題字の揮毫は北海道知事町村金吾となっている。

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 この碑に書かれているように、聚富の地は元々砂地で農業には適さなかった。開拓のため上陸した亘理伊達家にとってこれは誤算であった。そこでこの地を捨てて内陸の当別に向かうことになり、聚富から当別への道を拓くことから新移植事業を行っている。この時伊達開拓団を率いたのが岩手山領主の伊達邦直で、邦直は当別開拓の祖となる。この史実を記念してこの碑が1996年に建立されている。

 碑の題字は邦直の子孫に当たる当時の当別町長によって揮毫されている。碑文には「シップ開拓場の記」と題して、簡単な入植に関しての記述がある。邦直始め51戸180名が聚富に入植して、当別に移る経緯が記されている。碑文に引用されている本庄睦男の小説「石狩川」は、当別における伊達家臣団の開拓の苦闘の物語である。生憎西向きの碑に朝日は逆光の関係になって、碑の正面の写真を明るく撮ることが出来なかった。碑は午後から湯方にかけて訪れると映えて見えるのだろう。

 春先で碑の周りは枯れ草色一色で、彼方に石狩浜の灯台と思える、赤白の縞のある円柱の建物が見える。石狩の浜は目の前にある。それであれば確かにここは砂地で農業には適していなかったのだろう。

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2007年04月29日

街の音 唄う女の 声となり

 峯田敏郎の作品です。ビルの4Fの周囲が開放空間になっていて、そこに設置されているので、街の音がそのまま伝わってきます。ビルは縦に延びた街並で、横に並ぶオフィスや商店をつなぐ道や広場が縦に位置してあると考えてもよいかも知れません。ただ、外の空間に光が溢れ、彫刻には日が当たらない関係で、写真を撮ると彫刻が黒い塊になってしまっています。

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2007年04月28日

中野植物園と源山観音像

 4月の終りに清水町にあるこの私設植物園を尋ねてみる。パンフレットには1908年(明治41年)創立とあるから、ほぼ百年の歴史を持っている。看板には広さは五万平方メートルあると標されている。入場料一人につき200円を払って、緑や花が未だのこの時期、訪れる客もいない園内に入ってみる。

 園内に入って目についたのは古代文字を模写した二つの石碑である。模写された古代文字はどこで発見されたものなのか、どうしてここに模写の石碑があるのか分からなかった。植物園なのに、花や木よりは石灯籠や狛犬が目についた。もう少しして桜の花やつつじが咲けば、ここは植物園の雰囲気が出てくるのだろうけれど、この時期花らしい花は濃い緑の葉に桃色の花をつけた雪の下ぐらいであった。

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 園内に遊具が沢山あるところを見ると、ここは桜や紅葉の季節に家族連れがよく来るところのようである。入口にジンギスカンが出来るとの宣伝があったので、野外レストランの趣で、植物園と遊園地を合わせたようなところかも知れない。しかし、我々の他には客はいなかったので、ジンギスカンで賑うシーズンの様子は想像できなかった。

 中野植物園の敷地は近くの山林に広がっていて、敷地のはずれにある山道を登ってみる。ここも冬から春へ変わる境目で、枯葉から緑が少し出ている、といった状況である。道が行き止る小高いところに出ると、地蔵が五,六体並べられてあった。木々が葉を落としているので、この場所から小樽の海や山を、梢の隙間越しに眺めることができる。

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 ここからさらに上の方に観音像があった。岩場で手すりの鉄パイプの助けを借りて観音像に近寄ってみる。後で知ったことではあるけれど、観音像のあるところは標高150mの源山の頂上付近である。この日は風が強く足場も悪いこともあって、観音像を眺めるのは早々に切り上げて小山を下りた。

 帰りがけに園の手入れをしている人から、もう少し日が経つと近くの小川沿いにカタクリやヒトリシズカの花の群生が見られ、山菜も豊富なところであると説明を受けた。しかし、シーズンになり秘境感が薄れては秘境探検の意味もないかと、再訪するかどうかは改めて考えることにした。

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意心帰は 心の形 庭にあり

 知事公館の庭に緑が戻って来ました。庭にある安田侃の作品に冬の間被せてある覆いもとれて、白大理石の肌に木の影が映っています。この作品名は「意心帰」とあって意味不明です。英語ではShape of mind となってはいますが・・・

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2007年04月27日

屋根叩く 豆撒く音して 霰なり

 明け方、屋根に豆でも叩きつけるような音がして(家の構造上、屋根の直ぐ下に寝ているようになる)起きてみれば霰で庭の芝生が埋まっています。写真を撮ると、降ってくる霰のつぶが写っています。明日からはGWの大型連休が始まるというのに、今年は冬の尻尾がなかなかとれない。

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 クロッカスは夜には花を閉じ、日の光が増せば開いてきますが、霰のつぶてに合っては一日中花を閉じているより仕方がないですか。

クロッカス 霰つぶてに 花閉じて

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2007年04月26日

三浦綾子記念文学館

 この文学館は1998年に旭川市の「外国樹種見本林」に隣接して建てられた。館の入り口のところに三浦文学の出発点になった、朝日新聞社の一千万円懸賞金の公募小説の入賞作の「氷点」の一節が掘り込まれている文学碑がある。

 碑には「日は全くない。東の空に入道雲が高く陽に輝いて、つくりつけたように動かない。ストローブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かった。その影が生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える。」と綾子の直筆で彫り込まれている。「ストローブ松」とあるからには、この外国樹種見本林の場所が、この小説に描き込まれた縁でこの林の一角に文学館が建てられているのだろう。ただし、正確なところは分からない。

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 館内の玄関に入ると角型の逆禁止マークが目についた。文学館を見に来る目的だけだったので、これは逆禁マークハンターにとっては思いがけない収穫であった。

 この建物は雪をイメージして建てられているようで、六角形の2階建てである。中央が吹き抜けとなっていて、六角形に配置された部屋を回って見て歩ける。三浦綾子や三浦文学の資料をゆっくりと見て回れ、途中にある机と椅子も利用でき、落ち着いた作りになっている。別件の用事で旭川に来て時間があったので寄り道した状況もあって、内部を一通り見たというだけで、三浦文学の知見を深めるまでには至らなかった。

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2007年04月25日

小樽のワイン造り

 小樽の寿司屋で地ビールを注文したら、ラベルに「おたるワイナリービール」とあった。ワイナリーならワインを造るところで、何でワイナリーのビールなのかが分からなかった。では製造元の北海道ワインに出向いてみようということで、毛無山の方に向かう国道393号線沿いにある同社の工場を訪問する。

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 時間を合わせると同工場のワイン造りの現場を見学させてくれる。ワインにはとんと知識がなかったのに、耳学問である程度のワインの知識を仕入れることができた。この会社では道産のブドウのみを用いてワイン造りを行っている。北海道のワインと言えば十勝ワインとか富良野ワインが名が通っていて、そちらの方が生産が多いのかと思っていたら、同社の小樽ワインが道内一の生産量を誇り、道内産ブドウの三割を集めてワインにしているとのことである。

 日本のワインといえば甲府と直ぐに結びつくけれど、甲府の気候は暖かくて赤ワインは出来ても白ワイン造りには適していない。ワイン造り(つまりはブドウ栽培)には気候により五区分に分けられていて、冷涼から温暖に向かって第一区分にドイツやフランスの有名なワイン産地と並んで北海道が入っている。甲府は四番目の区分に入る。

 温暖な地方で採れる黒ブドウは糖度がありその分酸が少なく、これからは赤ワインが造られる。赤ワインの場合、ブドウを搾ってから直ぐに醸造に回し、一回の醸造工程でワインが造られる。これに対して、冷涼なところで栽培される白ブドウは酸が多めに含まれ、醸造も二工程で造られる。

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 種と皮を除いて、酵母を用いで大きなステンレスのタンクで発酵したブドウ汁は、フィルターで酵母や雑菌を除いてビン詰めにされ、ビンのなかで熟成が行われる。夏にこの工程で水を使うことになり、この工場では地下水を利用している。その際に水と同じ発酵の工程を含むビールを並行して造っているのが前述のワイナリービールなのだそうである。

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 ワイン工場見学では当然試飲出来るだろうと、運転手同道で訪れたので、心置きなくワインの試飲サービスを受ける。道産ブドウしか使っていないというこだわりのワインであるせいか、当方の舌がいいかげんなせいなのか、次々と飲んでみるワインは美味しかった。これだけ試飲したら、購入するのは礼儀であろうと、ラベルに生葡萄と書いてある(熱殺菌せずフィルターで雑菌や酵母を除いているという意味である)甘口の白とすこし辛口の赤を求めて、直売店のワインギャラリーを後にした。

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2007年04月23日

マクンベツ湿原の水芭蕉

 四月中旬の終わりの日曜日に石狩川の河口近くにあるマクンベツ湿原の水芭蕉の群生を見に行く。国道231号線を北上し、石狩河口橋を渡る手前で右折してマクンベツ湿原の駐車場で車を止める。

 マクンベツはアイヌ語で「山際を流れる川」の意味だそうで、パークゴルフ発祥の町幕別町の町名はこれに由来している。ただ、石狩川河口付近には山は無いのにこの名前である点が疑問である。石狩川を直線状にしたために取り残された川は上流を茨戸川、下流をマクンベツ(真勲別)川と呼んでいる。湿地はこのマクンベツ川と石狩川に挟まれて石狩川の川岸に広がっている。

 駐車場から土手を下って石狩川の方向に歩いて行くと水芭蕉群生地の看板があった。看板にはこの花の英語名として“skunk cabbage”(スカンク・キャベツ)とあって臭いが強いらしい。日本でも“へびのまくら”などと呼ばれていて、名前には見た目の優雅さはない。

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 看板には石狩川の川岸まで四百mとの表示があって、この長さの幅1mの木道(本当の木製ではない)が川岸まで延びている。見通すと長い木道である。これは最近作られた管理用通路らしく、訪れた人に開放されていて、木道の上はそれなりに混み合っていた。大抵の来訪者はカメラを抱えていて、思い思いのところで水芭蕉の写真を撮っていた。

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 木道を歩くと、水溜りがそこここにある湿地を背の高い枯れ草が覆い、まだ緑が戻って来ない木々が林を作って広がっている。この殺風景な中にあって、緑の葉、黄色の花を包む白い仏炎苞の水芭蕉が春の到来を告げている。それにしても、雪解けが終わるのを待つ時があらばこそ、他の花に先駆けて早々と一斉に花開く水芭蕉の気の早さには驚く。

 木道の先は石狩川で断たれていて、雪解け水の影響もあって水量が増えているように思える川が流れている。川下には石狩河口橋が見え、自動車が列をなして行き来しているのが遠目にも分かる。もう少しすれば、この当り一帯は緑につつまれ、水辺の昆虫が動き出し、それを狙って鳥が集まり、夏に向かって雪崩れ込んでいくのだろう。その頃は水芭蕉群生もこの湿地から消えているだろう。毎年の湿地の主役の交代劇である。

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追記:22日に行われた小樽市長選では現職の山田氏が3万票、元衆議院議員佐藤氏が2万5千票、前小樽市議森井氏が2万3千票とインターネットの速報にありました。最初は一人で小樽市長選に挑んだ森井氏の善戦です。

2007年04月21日

福寿草 日光受け取る ソーラーパネル

 雪解けの庭で急激に花が咲き出しました。黒い地面に開いた福寿草の花が、暗い宇宙空間でソーラーパネルを広げた人工衛星に日が当たっているようにも思えます。

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2007年04月20日

気がつけば 枯葉化けたり 花さふらん

 この季節北国の草花は急激に変化していきます。手品師の何もない手のひらから物が出てくるみたいです。

手品師の 手のひら大地 花出たり

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2007年04月19日

水芭蕉群生的星置緑地(手稻区星置)

 札幌でも水芭蕉の咲く季節を迎えて、「札幌秘境100選」のダイジェスト中国語版の原稿がほぼ揃ってきました。水芭蕉に関するテーマの中国語紹介文は下記のようなものです。中国語文をブログにアップしてみると、一部簡体字がOK(站=駅、达=達)なのに、表示できない簡体字もあります。中国語(簡体字)フォントをどの程度サポートしているのかが見当がつかないところで、中国語を扱うのは難儀です。一部文字化けもありますが、漢字の知識を動員して下記中国語を判読してみるのも面白いです。

从JR星置站出来后走5分鐘到达一个住宅小区的附近有个星置緑地。黄金周時,還感覚有点冷的季節里去看这块緑地里群生的水芭蕉。緑地全是湿地,从木頭的歩道上辺走辺看水芭蕉在融雪的水洼里開着花。这里原是更遼潤的湿地,開発住宅時划分整理后留下来的。湿地里湿地款冬,延齢草,一花草的花也开着。還有鴨子,住宅小区的旁辺留下了自然的神秘之境。

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2007年04月18日

朝里ダムと小樽市長選

 本日(4月18日)の道新朝刊に小樽市長選の三つ巴の選挙選の記事が出ていました。三人の候補者の一人森井秀明氏(34歳)は小樽・石狩秘境の掲示板に朝里ダムのテーマで投稿していただいています(No379、2006年12月29日)。インターネットでの選挙運動は禁止されていて、応援も微妙なところがあるので、ここでは秘境探検で協力してもらっている事実だけを紹介するだけです。が、4日後の22日に迫った小樽市長選の結果は大変気になります。34歳の市長が誕生すれば、夕張化が進むと言われている小樽をどのように引っ張っていくのか、小樽市民ではないのですけれど、小樽の秘境で首を突っ込んでいる者としてはこちらの方も秘境同様ウオッチングの対象です。
 朝里ダムの写真は自分で行って見た時のものをアップしておきます。森井氏には選挙の当落に関係なくこのテーマで原稿を書いてもらうつもりではいますが・・・

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2007年04月17日

Kamokamo River in winter

Kamokamo River runs through Nakajima Park from south to north. Then the river runs through the Susukino area and joins Sosei River. It is a stream in the urban area. Even in winter, carp are living here. Carp used to be kept by traders of carps in winter. However, as the cost is about 10 million yen, it was decided to have carp keep living there in winter from 2006. When I visited there, some parts were frozen. I could not see any carp even from the bank. Instead, I could see the couple of ducks that were looking for their food from the surface of the river.(英訳はJust English Pressの協力を得ている)

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2007年04月16日

ここありと 緑かすかに スノウドロップ

 4月12日に投稿した庭のスノウドロップの昨日の状況です。冬に逆戻りです。もっとも一日もすればこの雪は大方解けますが、それにしても4月中旬でこの雪ですから、雪国札幌でも異常気象です。

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 本州では桜が咲いて、散っているというのに、庭の桜の木には雪の花です。この雪景色を見ている限りでは、もう2週間もすればこの桜の木に花がついて来るなど想像が難しい。

 雪の花 桜前線 押しとどめ

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2007年04月15日

浦河郵便局

 春先の日高路は、まだ枯れ草で覆われた牧場が道路脇に広がり、遠くに日高山脈が雪を頂いて輝いて見えるのが絶景である。浦河は日高支庁が置かれている町であり、軽種馬(競走馬)の生産地で名が通っており、古くからの港もある。山が海に迫り、町はその合間にあったのが、現在は海の埋め立て地に役場が建っている。

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 浦河の町をふらりと歩いていると写真の逆禁止マークを発見した。郵便局専用駐車場で、郵便局の車が並んでいる。進入禁止マークに「郵便車専用」の文字を入れたのだろうけれど、進入禁止マークが逆禁止マークになっているのは珍しい。

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 浦河の町は人口が漸減で、16000人を切っている。人口が少なく、車が足となっている地方の町では、市街を歩く人の姿がまばらである。人の姿も見ないで、この町の海の玄関の港に足を運んでみる。防波堤から見る海は荒れていて荒涼感が漂う。「海と牧場」を標榜する浦河の町であるけれど、訪れた時が春先であったため、緑の草地を駿馬が走り穏やかな海原が広がる景色とは遠かった。

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2007年04月14日

埃德温丹記念館

 現在、「札幌秘境100選」のダイジェスト版の中国語訳を進めています。翻訳された原稿は中国語(簡体字)で送られてくるのですが、このブログでは中国語(簡体字)のフォントが無いようなので、簡体字を繁体字(一部日本で使われている漢字)に直さないとなりません。そこで、日本語漢字に直した中国語紹介文を以下に示します。ただ、最初の漢字(日本語で「この」の意味)は対応する漢字が分かりませんので文字化けのままです。エドウイン・ダンのような外国人名には音で「埃德温丹」が当てはめられていますが、これは翻訳者毎に変わってしまうものかなと思っています(新聞等に出てくる著名人の表記は統一されるでしょうが、過去の人物の名前は色々表記されるのではないかと思っています)。翻訳された中国文(簡体字)は漢字から大体のところ理解できるのですが、翻訳に出す前に書いた日本語にどのくらい近い文章なのかを判断するほどの中国語読解力がないので、なんとも言えません。

 这个記念館展示了自1876年到札幌来的北海道畜牧業基礎上発展起来的埃地温丹相関産品。1964年移到現址,2003年当地市民開始営造記念館。過去記念館里保存的寛闊的真駒内畜牧場的宝貴的航拍照片等,在記念館都能看到。战后畜牧場成了美軍的駐地,然后駐地的管理由美軍交給了自衛隊,一直至今。

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2007年04月13日

目を伏せて アイヌの乙女 隠れ居り

 誰でも自由に行って見ることができるところにある像ですが、こんなところに隠れるようにあったとは気がつきませんでした。

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2007年04月12日

消えた雪 スノウドロップに 姿変え

 庭の雪解けも勢いを増して来て、春一番のスノウドロップが「肥葉」から顔を出しています。雪の解けた後に残っている枯葉は枯葉というより、土に還る前の枯葉で、この意味を含んだ良い言葉がみつかりません。堆肥状の枯葉の意味で「肥葉」の造語がよいかな、と頭を使うことでもないことに頭を使っています。

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2007年04月11日

Sapporo Salmon Museum

Toyohira River runs through a big city, Sapporo. It used to be a dirty river because of rapidly increasing population after the war. Then no salmon came back to it or went upstream. In the 1960s, when waterworks were put in good condition, the act of releasing young fish was started in Toyohira River. In 1981, some adult fish were found there. In 1984, Sapporo Salmon Museum opened in Makomanai Park. The front side of this building is designed with young fish facing each other. Inside this, visitors can watch how the crowds of young fish swim before releasing. Also, Ito, facing extermination, can be seen there. (英訳にはJust Engkish Press社の協力を得ています)

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2007年04月10日

自衛隊駐屯地内サイロ隊舎

 真駒内にある自衛隊駐屯地は、北海道開拓時代には広大は種蓄場であった。その後北海道農業試験場になり、1937年に建てられたサイロのうちサイロ牛舎が駐屯地内に残されている。進駐軍の米軍がこの建物を下士官クラブや集会場として利用し、その後自衛隊に引き継がれてサイロ隊舎となっている。サイロ最上部の展望室まで螺旋階段で登ると、ここからは札幌市街をみることができ、JRタワーがはるか彼方にかすんでいる。

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2007年04月09日

コーチャンフォー新川店

 2007年3月15日にコーチャンフォー新川店か開店している。売り場面積8600平方メートル、そのうち4100平方メートルが書籍の売り場、2200平方メートルが文具の売り場で、国内最大規模との触れ込みである。新川通りから特徴のあるこの建物の駐車場に入る。

 店内は確かに大きい。書籍の売り場では本を探すというより、本が並んでいるところを散歩して来た感じである。膨大な点数の本が並んでいると、情報の消化不良を起こさないようにと、本を丹念に見る気がしない。購入したい本が決まっているなら、店内に設置されているPCの端末で、どの場所にお目当ての本があるか検索すればよく、用事がすめば本の洪水から逃れるだけである。

 本よりは文具の売り場で捕まって、消しゴムで消えるボールペンとか、小型の絵の道具なんかに手を出して購入してしまう。商品が溢れると、それらが本当に必要かどうかの判断が麻痺してしまって、財布にお金があれば交換してしまう。

 この店には食べ物を売るコーナーもあり、ここでも並んだ種々のアイスクリームの誘惑に負けてしまう。本、文具、食べ物に音楽CD類の4本柱で商品をとり揃えているので、4頭だての馬車をコンセプトにしてコーチャンフォー(Coach and Four、コーチ・アンド・フォーを続けて発音するとコーチャンフォーになるようだ)とネーミングを行っているとのことである。

 店を出るときに気がついたのだけれど、ドアのところに逆禁マークが張ってあった。このマークの指摘では、店内にペットを連れて入ること、タバコ、撮影は禁止されている。ただ、店の外壁にあった危険物持ち込み禁止マークは正常なマークであった。

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2007年04月08日

ホクレンパールライス工場

 石狩湾新港の付近は大規模工場が建ち始めている。そのような工場の一つとしてホクレンの精米を出荷する工場がある。この工場には、精米・加工と袋づめを行う最新のシステムを見学するコースが設けられていて、事前に申し込むと見せてもらえる。

 場所が石狩市新港西2丁目で、この工場の周りは空き地も広がり、冬の終わりにくると、いや多分夏でも殺風景なところである。こんな場所の工場内で、最新の技術を利用して、ロボットが動きながら製品を作っている空間があるのは秘境的である。

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 週末に見学を申し込んだのは著者と運転手の二名であったにもかかわらず、工場では案内嬢が丁寧に対応してくれる。100名は入れるだろう大きな講堂で工場案内のビデオを見せてもらった後、二階から始まる展示室を説明を受けながら見て歩く。見学者の興味を惹くように質問がところどころに書いてあって、例えば玄米1表(60Kg)を収穫する田圃の広さの設問がある。正解は、玄関ホールのタイルを色違いで表示して、二階からその広さを確かめられるように工夫されている。

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 「ごはんミュージアム」と銘打った展示場には、お米に関する色々なテーマのパネルや展示物があり、お米に関する知識を仕入れることができる。米と祭りのテーマのパネルで、青森のねぶた祭りは、農作業の忙しい夏に襲ってくる眠気を追い払う行事から始まり、「ねむり流し」から「ねぶた」に変わったらしい、と言った雑学が増える。

 精米の過程で異物を除く必要があり、ガラスの破片などは光の透過率の差を利用して行うけれど、これを米一粒、一粒を対象にして行うらしい。単純な原理であっても、膨大な量の米を高速に流しながらの実用技術はたいしたものである。

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 精米した米の袋つめと運搬工程ではロボットが活躍していた。ロボットの動きは二階から窓越しに見下ろすことができる。これだけ自動化が進むと、精米を自前で行っている零細農家はコストの上では太刀打ちできないのではなかろうか、と思えてくる。零細な米作り農家がこの巨大な米の加工と流通システムに対抗するためには、生産者から消費者に直売する方法で、おいしい米を供給する信頼関係を培って勝負するのが残された戦略かなとも思ってみる。

 見学を終えて帰る時、この工場で作っていて売り上げが伸びている無洗米300グラムの入った袋を二つお土産にもらった。予期していなかったことなので、たまたま持っていた「札幌秘境100選」を案内嬢に進呈してきたけれど、この工場が石狩秘境のテーマで取材されているのだとは、案内嬢はよもや思いも及ばなかっただろう。

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2007年04月07日

祝津展望台と江差追分碑

 高島岬を見下ろす祝津展望台は360度の景観を楽しめる。北には高島岬の向こうに石狩湾が広がり、東には石狩湾新港の液化ガスのタンクが小さく見える。東南方向には札幌市が遠望でき、JRタワーがかすかに見える。ここからの眺めに入ってくるこの建物をはじめ札幌の高層ビルはさすがに高く、大都会札幌の認識を改める。

 南方向には近くは祝津の港が、さらに祝津に迫る山岳部が見える。西には赤岩の絶壁が海に落ち、西北方向には積丹の山並みを望める。祝津にある小樽水族館のプールもここから見下ろすことができ、開館シーズンになれば入館料を支払わなくてもプールサイドでのオタリアショーを遠目ではあるけれど見ることができる。

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 この祝津展望台に大きな江差追分碑が建っている。碑には江差追分の本歌「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」が刻まれている。唄の意は、積丹半島に女人禁制の地があって、一緒に行きたいけれど女の私にはそれが適わない。忍路、高島までは無理としてもせめて歌棄(うたすつ)か磯谷まではついて行きたいものだ、という思いを歌詞にしている。

 この有名な江差追分はその起源を信州小諸付近の追分節に発して、越後から蝦夷地に渡り江差追分に変形したのではないかというのが定説らしい。日本の唄は7・7・7・5の26文字が一般的だそうで、碑にある歌詞の文字を数えてみると、確かにその通りになっている。

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 この碑にある歌詞に加えて「かもめの鳴く音にふと目をさまし あれが蝦夷地の山かいな」と「松前江差のかもめの島は 地からはえたか浮島か」を加えて江差追分の三大歌詞と定められている。これらの歌詞も7(8)・7・7・5となっている。

 1953年6月に建立された江差追分碑の近くに、新しそうな「北海浜節民謡碑」があった。こちらは碑文を書いた千葉勝友という人が作詞作曲をしたらしい。この民謡歌詞も作詞作曲者の名前も初めて聞くものであった。歌碑建立協賛者として、何とかの長にある人が肩書きを並べた名前で碑面の前面1/3を埋めていたから、「作詞作曲はおよびもないが せめて肩書き碑に残し」なのかな、とも思えた。

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2007年04月06日

不凍給水栓の生まれる現場

 風土に根ざして育まれる技術がある。寒冷地の北海道にあってのそのような技術の一つとして不凍給水栓がある。つまり、冬季に水道管内の水が凍結しないようにする給水栓の技術である。

 水道水が凍らないようにするには、水道管を藁などを巻いて保温したり、水道水を流しっぱなしにする方法が考えられた。さらに進んで、水道管内に残っている水を凍らない地下のところまで下げる水抜きnの方法が採用され、改良が加えられて来ている。

 このような水抜栓・不凍給水栓が使われるようになったのは、1904年(明治37年)の日露戦争が契機になっていると言われている。この戦争で大連からの帰還師団がこの水道技術を持ち帰って利用し始めたらしい。1911年に小樽で仮通水が行われた際に、複数の不凍給水栓が採用されている。その後「和田式」と「佐野式」が残り、1950年小樽の光合金が「佐野式」を改良し、さらに多くの改良が加えられて、現在に至っている。

 この不凍給水栓の製作の現場を朝里にある光合金の工場で覗かせてもらった。給水栓は鋳物であるので、溶かした金属を型にはめて作る。写真は金属を溶かして、次の工程に移そうとしているところである。ここら辺は人間が作業をすることになる。

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 型から出した給水栓の加工は人手とロボットによる方法が併用されている。写真の工程ではロボットが作業を行っていた。汎用ロボットに同社で開発したプログラムを組み込んで自動化システムを作り上げている。最終的な製品のチェックはやはり人手のようで、一つひとつの製品の水漏れ検査が人間の手と目で行われていた。

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 最近の不凍給水栓にはセンサが組み込まれていて、水道水の温度により不凍給水栓の弁が作動するようにしたものもある。バルブ(弁)とエレクトロニクスを組み合わせた造語として「バルブトロニクス」が同社のパンフレットに載っていた。

 昔、冬季に共同の水道から自宅の水がめに水を運ぶ仕事で、朝に熱湯をやかんに入れて運び水道の蛇口あたりに熱湯をかけてどうにか水が出るようにした経験のある著者には、現代の不凍給水栓の作られている現場を見ると、その恩恵を再認識する。

2007年04月05日

鳥を抱(だ)く 女迎えて 画廊前

 駅前の大通りに面した大同ギャラリーの前にある本郷新の作品です。宮の森の本郷新記念館の玄関前に「鳥の碑」という人が鶏を抱いた像があります。

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2007年04月04日

北洋ビル前逆禁マーク

 本日は北洋銀行に出向いた時、北洋銀行本店の入っている北洋ビルの前の歩道に駐輪禁止のマークがあって、これが逆禁マークでした。写真には遠くに札幌テレビ塔が写っています。もう逆禁マーク・ハンターになってしまって、街の中では禁止マークをまずチェックするようになっています。

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2007年04月01日

石狩湾新港

 道路の雪が解け、ドライブし易くなったこともあり、石狩新港を見に行くことにする。札幌、小樽、石狩の三市の境界点を通過する国道337号線から小樽市と石狩市の市境となっている道道1066号線を北上して石狩湾新港に達する。埠頭まで行って写真を撮ろうしたら警備員に遮られた。埠頭には一般の車は入れないので、新港の端辺りに駐車する。

 春先で釣りのシーズンではないと思われるが、早くも釣り人が来ている。本格的な釣りをしているというより、これからの釣りのシーズンに向けてウオーミングアップをしているといった雰囲気である。港の対岸には液化ガスの貯蔵タンクが並んでいるのが目に入る。新港の周囲は各種の貯蔵施設があり、多くは新しい施設のようである。

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 この港の生い立ちに遡ると、1970年に出された「第三期北海道総合開発計画」あたりが事始で、この計画に石狩湾新港の整備計画が盛り込まれ、国家プロジェクトとして港の開発が開始された。天然の良港として発展した小樽港が近くにあり、港同士(つまりは小樽市と当時の石狩町)の綱引きの経緯があったけれど、小樽市と石狩市が港を半々に管理する形にして決着している。それにしても港の中央水路に両市の境界が走っているのも珍しいのではないだろうか。

 この港は整備の段階であり、新しくできた広い港湾施設が立ち入り禁止になっている。フェンスに接近してカメラで無人の波止場を撮影する。石狩湾の遥か彼方に、現在石狩市と合併したかっての厚田村、浜益村の山並みが雪を頂いて連なっている。山並みを遠望すると、春はまだ先の風景である。

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 新港の巨大な施設として、王子特殊紙江別工場向けの木材チップの荷揚げ場がある。荷揚げされたチップが大きな山となって運送を待っている。国道5号線と高速道路の札樽道の二本の道路に頼る小樽港に比べて、石狩新港から札幌方面には多くの幹線道路が利用できる点で有利で、このチップ荷揚げ施設もその利点を生かしている。

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 ポートセールスでは石狩新港は札幌港の呼称が用いられている。空路で千歳にある空港を利用する場合、千歳発着とは言わず札幌発着が使われているのと同様である。空も海も大都会札幌の玄関口と案内した方が分かりやすいといえばその通りなのだろう。でも湾港や空港の所在都市はこれらの呼称には抵抗感もあるのではなかろうか。