2007年04月07日
祝津展望台と江差追分碑
高島岬を見下ろす祝津展望台は360度の景観を楽しめる。北には高島岬の向こうに石狩湾が広がり、東には石狩湾新港の液化ガスのタンクが小さく見える。東南方向には札幌市が遠望でき、JRタワーがかすかに見える。ここからの眺めに入ってくるこの建物をはじめ札幌の高層ビルはさすがに高く、大都会札幌の認識を改める。
南方向には近くは祝津の港が、さらに祝津に迫る山岳部が見える。西には赤岩の絶壁が海に落ち、西北方向には積丹の山並みを望める。祝津にある小樽水族館のプールもここから見下ろすことができ、開館シーズンになれば入館料を支払わなくてもプールサイドでのオタリアショーを遠目ではあるけれど見ることができる。
この祝津展望台に大きな江差追分碑が建っている。碑には江差追分の本歌「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」が刻まれている。唄の意は、積丹半島に女人禁制の地があって、一緒に行きたいけれど女の私にはそれが適わない。忍路、高島までは無理としてもせめて歌棄(うたすつ)か磯谷まではついて行きたいものだ、という思いを歌詞にしている。
この有名な江差追分はその起源を信州小諸付近の追分節に発して、越後から蝦夷地に渡り江差追分に変形したのではないかというのが定説らしい。日本の唄は7・7・7・5の26文字が一般的だそうで、碑にある歌詞の文字を数えてみると、確かにその通りになっている。
この碑にある歌詞に加えて「かもめの鳴く音にふと目をさまし あれが蝦夷地の山かいな」と「松前江差のかもめの島は 地からはえたか浮島か」を加えて江差追分の三大歌詞と定められている。これらの歌詞も7(8)・7・7・5となっている。
1953年6月に建立された江差追分碑の近くに、新しそうな「北海浜節民謡碑」があった。こちらは碑文を書いた千葉勝友という人が作詞作曲をしたらしい。この民謡歌詞も作詞作曲者の名前も初めて聞くものであった。歌碑建立協賛者として、何とかの長にある人が肩書きを並べた名前で碑面の前面1/3を埋めていたから、「作詞作曲はおよびもないが せめて肩書き碑に残し」なのかな、とも思えた。
- by 秘境探検隊長
- at 03:26
comments