2008年10月07日
小別沢トンネル
大都会札幌の中央区というと市街地ばかりかと思うと、西側には山間部が広がる。中央区宮の森から西区小別沢に抜ける辺りは大倉山やよこして山で遮られ、小別沢トンネルを利用することになる。もし、このトンネルがなければ、両地区は山道を使うより他なく、それが大変であるのは大倉山から小別沢につながっている遊歩道でもある程度実感できる。
この遊歩道の小別沢トンネルの上部辺りに標識があり、かすれた文字で小別沢トンネル上の文字が読み取れる。ここから遊歩道を通って小別沢に下りると、民家が見えてくる。この民家の近くに旧小別沢トンネルの入口があり、以前はこの旧トンネルを利用して中央区と西区の往来がなされていた。二〇〇三年四月に新トンネルが開通していて旧トンネルは閉鎖された。
旧トンネルは地元の人達が必要に迫られて、一九二八年頃に素彫りで二年間かけて百mほどを貫通させたのが始まりで、その後鉄筋やコンクリートで補強されて利用されてきた。この旧トンネルが使われていた頃、トンネルは心霊スポットとして有名になって、トンネルを通ることが肝試しにも使われていた話が伝わっている。
現在でも小別沢側からはトンネルの入口付近までは行ってみることができる。小別沢から新トンネルに入る直前に旧道の入口があって、右折してこの道に入っていくと旧トンネルの手前で行き止まりになる。少し高いところに祠がある。何を祀ってあるのかわからず、取り残されたような祠である。
旧トンネルの入口はペンキの塗られた板で塞がれている。板の隙間から覗いても中は暗くて何も見えない。心霊スポットの雰囲気が伝わってくる。トンネルの幅から自動車はこの旧トンネル内ですれ違うことができただろうか、夏はともかく冬の雪の季節にはこのトンネルの通行は可能だったのだろうか、などなどの疑問も湧いてくる。
旧トンネルにつながる旧道沿いの道端にガラス製の看板が置かれている。「やぎや」の文字がみえる。これはレストランで、店名の通り山羊を飼っていて、山羊乳酵母パンなどがメニューに加えられてる。山の斜面の草地には山羊が放し飼いにされているのを見ることもできる。
旧トンネルの中は歩くことが出来なかったけれど、新トンネルは歩いてみた。新トンネルは二百三十mの長さで、歩道も付いていてトンネル内を歩くのに危険は感じない。新トンネルは心霊スポットとは無縁のところであった。
- by 秘境探検隊長
- at 00:11
comments
隊長先生の記事は、やはり素晴らしいですねぇ。感動モノです!
遊歩道があったとは知りませんでした。
私も次に訪れるときは「サバゲー」スタイルで(いや、そのコスチュームである必要はないのか。笑)遊歩道探検にチャレンジしたいと思います。
旧トンネルは、実に「出そうな」雰囲気をかもし出しておりましたが...本当にあのトンネルで「出会ってしまった」人はいるのでしょうか。若かりし頃は、あのトンネルに入ってから車のライトを消してイッキ走行するなど、ホントにアホなことばかりやっておりました(時効につき、告白(^_^;))
先日訪れた時は、旧トンネルの入り口はビニルシートで覆われていました。隊長先生がこのお写真を撮られたのはいつ頃のことなのでしょう?
Kikurinさん ネットを見ると、旧トンネルが心霊スポットで賑わっていたころには、有りそうな、無さそうな話の投稿を見かけます。タクシーの運転手が、いわくありげな人を乗せ、小別沢のトンネルに向かってくれといわれた話(大抵の場合客は忽然と居なくなって、シートが塗れている)、とかそのバリエーションが多いみたいです。職業がタクシー運転手でなくてよかった。
私が撮ってブログにアップした写真の日付はけ2008・8・26日ですから、ビニールシートで旧トンネルの入口が塞がれたのはその後のことのようです。以前の状況ではベニヤ板の隙間からトンネル中に入れるようになっていました。私は入る勇気もないので入りませんでしたが、中には入る人(か動物)が居て、その対策なのかも知れません。
旧トンネルの活用で、トンネル内で喫茶店かレストランを開いて、ホラーメニューなんかをだすと、意外と受けるかも知れません。なにせ世の中真っ暗闇のトンネルで無灯火の自動車で突っ走る人種なんかがおりますから、夏場に背筋(と舌)に冷たく感じる飲み物と食事なんかを心霊スポットで味わいたいと言い出す人も居そうなので (^-^;;