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2007年08月01日

千古園

 江別RNTパークの付近あたりで道道江別恵庭線(道道46号線)に出ようとすると、道路の向こう側にある碑が目に入る。江別恵庭線を横断してこの碑の近くで駐車して、大木の生い茂る場所に入ってみる。

 千古園の石碑が建っていて、近くに説明板があり、この場所が江別市指定文化財第一号の史跡であることを知る。この場所は、新潟県で一八八六年(明治十九年)に結成され、江別市の発展に貢献した民間の開拓団体「北越殖民社」の二代目社長関矢孫左衛門の屋敷の一部であった。最初十七戸の入植であったものが、一八九〇年(明治二十三年)になると四百名を超える入植者がこの野幌の地で本格的な開拓を行うようになっている。

 野幌郡に入植した開拓民の苦労を伝えるため、「留魂碑」や茶室「道庵」が建てられ、公園として整備されて現在に至っている。千古園の名前は前記の関矢翁が碑の建立に際して、「千古空留一片石」と口吟したことに由来しているらしい。

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 この庭園の見所は、園内にあるキタコブシやブナの大木であろう。百年を越す樹齢の巨木が葉を茂らせ、公園内は薄暗い。推定樹齢百八十年というキタコブシは江別市内でも最も古木で大木である説明があるけれど、雷か大風のせいか樹の上部が無くなっている。

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 樹高二十五mもあるブナの大木は、百二十年の推定樹齢で、豊かな枝葉を茂らせている。天然のブナ林の北限は黒松内低地帯の「天然記念物歌才ブナ林」があり、さらに北の蘭越町にも通称「ツバメの沢ブナ保護林」がある。しかし、江別には天然ブナは開拓時代以前にはなかったろうと推測されるので、千古園のブナは入植者が植えたものだろう。樹齢からしてそれを裏付ける。

 開拓民が故郷新潟から持ってきたと思われるブナの種子をこの地に埋めた頃は、辺りは原始林だったろう。原始林が消えて、後に芽を出したブナが大木になり、開墾した畑地を突き抜けるようにアスファルトの道路が延びて、自動車がひっきりなしに走り、その先には江別の市街地が広がることになろうとは、人間の営みが自然を変えていく激しさを感じることができる。

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 園内には小さな石の地蔵が並んでいる。新しいのや古いのが混ざっているようである。地蔵にはそれぞれ番号がついていて、園内で地蔵巡りをするように置かれたのかな、と思っている。

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