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2008年05月30日

篠津の産業史跡

 篠津村の開拓記念碑には、篠津の屯田事業が1881年(明治14年)に青森・岩手・山形の東北三県からの屯田兵により始まったと記されている。篠津太と呼ばれた石狩川沿いの地区には開拓使勧業課が養蚕室及び付属施設を設けて、北海道に養蚕業を興そうとした試験地があった。

 屯田兵は氏族を対象にして募集されていたが、養蚕に関しては経験のある農民を募集して篠津で養蚕試験事業に携わらせた。桑の育成が北海道の気候に合わないことや労働集約産業で人手を確保できないことなどから、結局養蚕業は北海道の産業とはならなかった。

 江別太の試験養蚕室の史跡が篠津旧道路脇に立っていて、辺り一帯は畑地である。篠津は早くから屯田事業が始まったけれど、村落が大きくなり町や市としての市街地が形成されることはなかった。養蚕室史跡の近くには馬頭観音像もあって、いかにも開拓の地の史跡という雰囲気である。

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 篠津は1920年(大正9年)に石狩大橋が架けられたことにより、1927年(昭和2年)に開業して当別の農産物や木材を江別に運ぶための江当軌道が敷設されている。その史跡の標識が、石狩大橋を越えて篠津側の道道139号線沿いに目立たないように立っている。

 この軌道は石狩大橋で石狩川を越えることができたけれど、当別川を越えることが出来なかったため、当別と江別を結んで物資や人を輸送するには難点があり、国鉄札沼線の開通により利用者が減少して1936年(昭和11年)には廃止されている。わずか10年の歳月でこの11.2kmの線路は消滅してしまった。

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 この軌道史跡の標識の傍に現代の農業に関わる事業「国営かんがい排水事業」の展示があるのが目に留まった。公園風のスペースに用水路の流れで水車が回っていた。これは農業水産省直轄事業で、江別市、当別町、月形町、新篠津村を事業地域として1985年から2006年にわたり600億円の巨費を投じて完成したものである。江別と当別を結ぶ軌道の史跡を見つけるのも困難な場所に、新しい水車のモニュメントが回っているのが印象的であった。 

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