2008年07月05日

対雁百年記念碑

 江別市には対雁(ついしかり)地区があって、道路の標識にもこの文字がある。しかし、初めてこの名前の漢字を示されては、正しくは読めないだろう。この地名は津石狩(ついしかり)の当て字で、石狩川の鮭漁や運輸の拠点として世田豊平川河口に津が栄えたことに由来しているらしい。かつてここには番屋も設けられていた。

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 ロシアとの千島樺太交換条約で、明治政府が樺太(現在のサハリン)で使役していた樺太アイヌを対雁に強制的に移住させた歴史がある。この樺太アイヌの子弟の教育に1877年(明治10年)仮の教育所が設けられ、1878年には開拓長官黒田清隆が同校を訪れている。この時黒田長官が揮毫した「対雁学校」の扁額が郷土資料館に残されていて、黒田のもうひとつの扁額「富貴在苦学労力」と共に江別市指定文化財になっている。1880年には校舎が落成している。

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 対雁学校は現在の対雁小学校につながっていくので、この小学校は江別では一番古い学校であり、1978年には開校100周年を記念して、「開校百年」碑が同校の前庭に設置されている。今年(2008年)は130周年を迎えたことになる。

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 鉄道が開通して、交通が石狩川の船から内陸の鉄道に移るにつれて対雁は寂れていく。現在はかつての対雁の一部は工栄町となり石狩川に沿った対雁通の南側には工場群が並び、昔の面影はない。この工栄町の世田豊平川に沿って目立たない榎本公園があり、公園内に「対雁百年碑」がある。

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 碑文から、1871年(明治4年)に宮城県からの入植者により対雁村が出来たので、1971年に対雁百年碑を建立している。さらに碑文には、この地に対雁神社があったことが記されている。石狩川治水工事のため対雁神社が解体され、そのご神体の天然石がこの碑の中に埋め込まれていることも碑文から知ることができる。対雁神社の額は残っていて、これは郷土資料館で目にすることができる。

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 それにしても「津石狩」がどうして「対雁」になったのかわからない。一方、札幌市には雁来(かりき)という地名がある。これは対雁の住人が札幌に来て村落を作ったことに由来しているようだ。この地名も最初は正しくは読めない難読地名である。

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