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2011年01月20日

肩身の狭そうな中沼神社

 モエレ沼公園を囲むように中野幹線道路と三角点通がつながっている。道路のある地区は東区中沼町である。中野幹線道路沿いに中沼小学校があり、同じ道路沿いに小学校から少し離れて中沼神社がある。神社にも中沼の地区名があるので、昔からこの地区は中沼と呼ばれていたかと思っていると、中沼小学校が地区名の発端になっている。
 もともとモエレ沼の西は「中野」、東は「沼の端」と呼ばれていて、1948(昭和23)年この地区に小学校が新築された時、新校名でこの両地区の住民に意見が対立した。折衷案として中沼小学校に決まった経緯がある。この校名から地区名が中沼となり、中福移も含めてこれらの地区が合併し、中沼町となっている。
 部落の合併に伴い、中野と沼の端にあった神社も一緒になり、中沼神社となっている。1966(昭和41)年に小学校の新築移転に伴って、神社は現在地に社殿を新しく建て、篠路神社の飛地境内神社となった。祭神は天照皇大神と天香山命である。

路地奥に 肩身を狭め 社(やしろ)あり

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 神社は保育園と民家の間に挟まれてあり、道路に面した鳥居を見逃しそうになる。狭い路地奥にあるような神社を見ると、肩身が狭い感じが漂ってくる。地区の名前を折衷案で決めた経緯が、この肩身の狭さになって表れているのかとも考えてしまう。手水舎が有るだけで、石碑の類も見当たらない。神社の鳥居からは中野幹線道路の向こうに広がる畑が、雪を被って広がっているのが見えている。

手水舎も 社殿も被る 綿帽子

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鳥居見る 中沼畑地 雪野原

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