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2012年04月13日

置かれた場所で不運に見えてくる裸婦像

 自治労会館横に本田明二の「朔風」の裸婦像が高い台座の上に置かれている。裸婦の頭上には電線が走り、どの角度から撮っても電線が入ってきて邪魔になる。作品にとって不運な場所である。

裸婦像は 電線ヒモで 不運なり

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アングルを 選びようなく 入る電線

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写真の女性像の頭上を走る電線はどのアングルから撮っても目障りであることは、今の日本の原発再稼動事情を象徴しているようです。
10本近い電線を流れる電流のエネルギー源が原発からの分と、火力発電や水力や、風力や太陽光などからの僅かな自然エネルギーが一緒に流れているわけで、上の電線10本を色分け出来るとすれば、このうち原発部分がどう変わるのか。
いずれはゼロになるのか又は当分現状維持か、などを生身と違ってブロンズ像ならば今後何十年にも亙って見守ってくれると期待して先日の「月と旭日」を真似て「美術と原発とパノラマ動画」の三題噺に仕立ててみましたがさて。

  • 伊東 裕
  • 2012年04月13日 17:15

 電気には色がつかず、産地(原発か自然エネルギーか)が特定できないので、産地毎の値段をつけて利用者が高くても自然エネルギー産を選ぼうか、といったことができません。電気を原発から再生可能エネルギーで生み出す方向に舵を切る妨げになっています。利用エネルギー毎に電線を色分けしますか。それなら街の中に電線があってもカラフルで、彫刻の背後でもアートの一部として許容できますか。

  • ブログ子
  • 2012年04月13日 17:37
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