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2012年09月17日

再発見された巨匠の作品

巨匠作 戦禍をくぐり 奇跡なり

 中島公園で再発見されるようにして話題になった朝倉文夫の「木下成太郎先生」像がある。朝倉は東京美術学校の教授で帝国芸術会員にもなっている。多作家であったが、戦時中の金属供出のため400点あまりの作品はほとんど消滅した。その中で生き残ったのがこのブロンズ像で、人目のつく公園にあってこれは不思議である。彫刻の人物木下は帝国美術学校の校長で、同校と多摩帝国美術学校の分裂騒動に関与している。この両校は後の武蔵野美術大学と多摩美術大学になっている。




(画像クリックでパノラマ写真)

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深川市の駅から正面方向の石狩川に架かっている3個のアーチ型鉄橋の欄干も戦時中に軍需用に撤去されました。
生家が橋から3件目でしたが欄干程度では殆ど支障は無かったのですが、著名な作家のかけがえの無いブロンズ像が400体も失われたとは誠に惜しいことです。
こんな形の戦禍を潜り抜けて生き延びているのも確かに奇跡ですね。

  • 伊東 裕
  • 2012年09月17日 15:12

 今になって考えると、芸術品の彫刻まで溶かしてしまったとは、もったいない事だと思います。戦争とは狂気の時代ですね。それにしても中島公園のこの彫刻はよくぞ残ったものです。

  • ブログ子
  • 2012年09月17日 21:18
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