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2014年05月16日

HPFhito71・湿原の生態を研究する北大植物園長冨士田裕子教授

 今年(2014年)4月から始まる道新文化センターの「身近な都市秘境を歩いてみよう」は11期目になる。今期の講座の見学先の一つとして「道立アイヌ民族文化センター」を候補にして交渉していた。見学場所がこの一つでは参加者は満足しないかと、近くの北大植物園内にある北方民族資料室も見学先に加えることにする。
 下調べで訪れた植物園は冬期休園中で、温室だけが開放されている。温室で植物園長の冨士田裕子(ひろこ)教授の名前を聞いて、予約無しで訪ねてみる。冨士田先生の部屋は前述の資料室と同じ建屋にあった。部屋の内はいかにも大学の先生の部屋らしく、本や資料の山である。こういう雰囲気をパノラマ写真に撮りたいと思ったけれど、これは断られるだろうな、とも予想できた。
 初対面の冨士田先生に見学とパノラマ写真撮影の件をお願いする。見学の方はOKで、指定の様式の見学依頼書を送ることで片がつく。パノラマ写真取材の方は、4月下旬の開園後、日を改めて園内の適当な場所で、ということになった。
 5月の中旬、受講生を連れて植物園を訪れる。資料室の説明は植物園のスタッフの加藤克(まさる)助教にお願いする。加藤先生は北大文学部から博士号を授与されている。植物園に文学博士のスタッフとは、事情を知らないと奇異に感じる。加藤先生は元々歴史の研究をしており、植物園内には北方民族資料室の他にも博物館があり、植物そのものも歴史的研究の対象になる、と聞くと少し納得である。
 講座参加者が資料室を見学している短い時間に、植物園の初代園長の北大教授宮部金吾の記念館横に立ってもらい、冨士田先生のパノラマ写真撮影である。バックにライラックの大きな株が花を咲かせようとしている。このライラックは、北星学園に発展したスミス女学校を創設したアメリカ人宣教師サラ・スミスが故郷から運んだものである。札幌最古のライラックのお墨付きの名木である。
 冨士田先生のインタビューは、先生に植物園を案内してもらうついでに立ち話程度で行い、後はネット情報で補強する。生まれは仙台市である。東北大学の農学部農学科を卒業してから同大学院理学研究科博士課程に進学し、理学博士号を取得している。その後新潟大学の助手、1989年に北大農学部の助手として植物園勤務となり、助教授、先月4月(2014年)に北大教授となっている。
 植物園の園長だった故辻井達一教授の下で研究に従事していて、辻井先生の専門の湿原の生態や環境に関するテーマを引き継いで研究を続けている。研究の性格上、湿原でのフィールド研究が多いようで、パノラマ写真撮影の日の前日まで、女満別の網走湖付近の湿原調査に行っていたとのことである。
 2010年には、尾瀬湿原を保護する活動を行っている尾瀬保護財団から第13回「尾瀬賞」が贈られている。同賞を受賞するのは女性としては初めてである。絶滅危惧種の動植物や消えて行く自然環境を対象にした研究は息の長い仕事で、持続力のある女性の研究者に向いているのかも知れないと思ったりする。
 猿払湿原などにも足を延ばして調査研究をされている。北海道の地図を広げて、猿払の地名を追い、この辺地に広がる湿原を想像しても、訪れた経験が無いのでリアリティに欠ける。北海道の広大な土地に広がる渺茫とした湿原を研究対象に選んだ研究者から見ると、植物園の手入れされた環境は人工の塊に見えてくるのではなかろうか。そこら辺のところを聞いてみるには時間切れであった。


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(北大植物園での冨士田裕子教授、2014・5・14)

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