2014年06月07日
HPFhito75・パチプロの経歴の持ち主レトロスペース・坂会館館長坂一敬氏
国道五号に面して坂栄養食品の坂ビスケット売店がある。自転車で時たま通る時、この店に寄って割ビスケットを買う。何せ1袋100円なのでその安さの誘惑に負けてしまう。同社のブランド品は「A字ビスケット」で、この歴史のあるビスケットは道民には馴染みのものだろう。「英字」ではなく「A字」なのだが、ビスケットはアルファベットの形をしたものが袋詰めになっている。袋によっては肝心のA字が欠けていたりする。
このビスケット売り場につながって「レトロスペース・坂会館」がある。下着、ヌード写真、猥雑な人形と並んでいて、大人の玩具を集めて並べているかと、冷やかし半分で店内のパノラマ写真を撮っていた。何回か訪れるうちに、この無料の資料館の持ち主のパノラマ写真を撮ってみたくなり、約束無しで店番の女性に頼んでみる。すると館長に取り次いでくれ、館長の坂一敬氏が現れる。坂氏は坂栄養食品を経営しているのではなく、現経営者は坂氏の甥ご氏である。
坂氏と二、三話してみて、これは普通の経歴の持ち主ではないと感じる。女性の裸に目くらましを食らっていたけれど、坂氏自らが撮ったという安保闘争の写真が経歴の一端を語っている。ここら辺の事情は深入りして聞けない雰囲気なので、少年時代について話を向ける。1943年の大戦の最中に上標津村に生まれている。祖先は奈良県十津川からの移住者とのことである。
物心ついた頃は戦後となり、右翼の少年になっていて月刊「丸」などを読み耽ったらしい今でも戦前の日本の戦艦の名前がすらすらと出てくる。ゼロ戦や人間魚雷回天の話、ゼロ戦とアメリカの戦闘機グラマンの比較等々とこれらの話題が続きそうなので、話をそれとなく本題に戻す。
明治大学の文学部と法学部で学んで、学生運動(闘争か)に入ったいきさつは色々ありそうなのだが、深入りするとまたはまりそうなので、社会人になった時の話を聞いてみる。
どんな仕事をしたのかと尋ねてみると、定職には就いていなかった、とのことである。どうして生活していたのかと聞くと「パチプロ」だった話になる。パチンコで生活費を稼ぐのである。今度はパチプロになるための講習のような話しとなる。まず台を見る。台が前後に傾いているのはダメで、台の傾きを見分ける目を養うことから始める。指打ちの場合、コンスタントに続けて打てるポイントを決める。店に嫌われないようにするためと疲れにも対処するため、500発(玉1発2円の時代)を上限にする。この玉数だと1~2時間で仕事を切り上げられる。店の通りに面した場所に客寄せのため出る台が並んでいる、等々と続く。
今パチンコ店に日中から通っているのは主婦が多いそうである。何故主婦がパチンコにはまるのか、パチンコ店の戦略を聞くとある意味恐ろしい。しかし、職業としては認められていない(従って職業としての納税申告は必要ない)パチプロで生活してきた人の話を聞くと、世の中いろいろな人がいるものだと感じ入る。
話はいよいよ本題に入る。どうして物を集めるようになったか。ある時道端に裸のマネキンが捨てられていた。何か国家が国民を捨てているイメージと重なって、マネキンを拾ってきた。ここら辺の感覚が、過去に学生運動(闘争)を行ってきた感性が出ている。マネキンが何体にもなってきて、下着を着せて並べてみた。すると、下着が結構盗まれる。現在マネキンは2階に移動させていて、曇りガラス越しにマネキンが並んでいるのが目に留まる。
マネキンの首や下着、普通の人形や緊縛人形、ヌード写真、ポスター、タバコ、マッチのラベル、ライター、時代物のテレビ、カメラ、銀塩フイルムのケース、仕事着から下履き、紙幣やコインとまあ多岐にわたる品々が並んでいる。中には貴重なものもあって、つい最近泥棒が入って小判やコインのコレクションがごっそり盗まれたそうである。金を出して購入したものなら、買い直すこともできるけれど、蒐集品は寄贈されたものも多く、そのようなものが盗まれたことの心の痛手が大きいとのことである。
この資料館は1994年6月6日にオープンしていて、取材に訪れた日の翌日が偶然にも20周年記念日である。店内には豆本の蒐集品もあり、最近寄贈品の盗難に遭った事、20周年記念日に居合わせた偶然性も手伝って、筆者の爪句集豆本と都市秘境本を寄贈することにした。
翌日の20周年記念日に寄贈本を抱えて訪れると、花瓶に挿した大きな花束が置かれてあり、20周年おめでとうの言葉が添えられていた。花と寄贈本の傍に坂氏に座ってもらい再度パノラマ写真を撮る。寄贈本に筆者の署名ということになり、署名本は三浦綾子の署名本と一緒にこのレトロスペース内に並ぶことになりそうである。
(レトロスペース・坂会館内での坂一敬氏 2014・6・5)
- by 秘境探検隊長
- at 10:40
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