2015年02月10日

HPFhito92・博士論文の化身話の研究を思い出ださせてくれた来札した徐軍君一家

 徐軍君は1966年7月に中国赤城県で生まれている。赤城県第一高校から瀋陽工業大学計算機学院に入学している。この計算機学院の創立に力を貸した経緯があり、同大学から北大の博士課程に5,6名の留学生や研究生を招いて、筆者の研究室で面倒をみたことがある。
 徐君は1990年に来日し、研究生となり、1991年の4月から博士糧に進学した。博士課程での研究テーマは「“化身話”コミュニケーション」に関するものである。ここで“化身話”というのはコンピュータ空間でのアバター(化身)が会話する言語(Avatar Language)といった意味で、筆者の造語である。このテーマで研究室の博士課程の留学生の何人かが博士号を取得しており、徐君もその内の一人である。
 外国人留学生を受け入れると生活費等の手当てに頭を使うことになる。徐君の場合、博士課程1年目で国際電気通信(KDD)の外郭団体である国際コミュニケーション基金の研究助成金支給者に選ばれて助かったことがある。この助成金の余禄で、徐君と一緒に九州旅行をした記憶があるのだが、場所ははっきり覚えていない。
 徐君は博士課程入学の3年後の1994年に博士号を取得している。学位論文題目は「知的通信方式による手話画像伝送の研究」である。この時研究室に同期生として居た中国人留学生の張善俊君の指導も行っていて、徐君と同時に博士号を取得している。張君の博士論文題目は「A Study on Two/Three Dimensional Medical Image Processing」であった。
 徐君は博士号取得後NTTグループ企業に就職し、東京で勤務し、その後外資系のアクセンチュアに入社し、大連で2年間ほど仕事をする。同社の上海にある会社に移り現在に至っている。大連に勤めている頃大連で会ったおぼろげな記憶があるだけで、その後徐君との音信は途絶えていた。
 その状況で急にメールが届く。やはり研究室で博士号を取得してニコンに勤めている劉真さんから筆者のメールアドレスを聞いてメールを出したということで、2日後に札幌に行くので会いたい旨のメッセージがある。家族と一緒に「さっぽろ雪まつり」見物を兼ねているようである。
 待ち合わせ場所は札幌グランドホテルのロビーを指定する。お互いかなり変わっていて、当方も徐君を見てすぐには気がつかず、徐君も同様である。しかし、改めて見ると確かに徐君である。グランドホテルのロビーで開かれていたデザインの個展の会場を借りて、徐君一家のパノラマ写真を撮る。
 その後日本料理屋で夕食となる。徐君の奥さん崔蓉暉さんは日本で生活していた関係で、日本語会話には不自由しないようである。上海では絵を通して子ども達の能力を引き出す塾を持っていて、手持ちのPCで仕事の内容のデモを行ってくれた。
 大きくなった息子が二人居て、長男思博君は東北大学の燕山分校で自動制御を専攻し、次男思楊君は中学生で高校受験を控えている。日本生まれで、日本で過ごした経験のある思博君は日本語会話には困らないようである。
 かつての研究室の留学生の事や色々の日中の話題が出て話は尽きないところではあったけれど、未だ雪まつりを見ていないとのことで、夕食会は切り上げて大通公園の雪まつり会場まで行く。ここでも一家のパノラマ写真を撮ってみたけれど、ライトアップされた大雪像を背にしての写真では、顔が暗くなってよく写らなかった。


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(札幌グランドホテルロビーのギャラリーでの徐軍君一家)

comments

先生に見習って(?)、中国人留学生を大学院で面倒をみています。奥さんは、北大の農学部の博士課程の学生です。本人は、北大の大学院に入学できるだけの学力がないとのことで、Webサイトで調べて私のところに来たということです。
それでも、ホテルでアルバイトして生計と授業料を賄っていながら、大学院生の中で最も真摯に研究活動に取り組んでいると感じています。少しは、日本人の学生も中国からの留学生を見習ってほしいものです。
私のところにいるD3の学生も論文を投稿することができずに、単位取得退学です。散々、論文を投稿せよと言っていた責任をとって、来週の18日までの投稿期限を自ら定めて、自分の英文論文を執筆中です。どうして、時間がたっぷりある博士課程の学生が、たった1本の学会論文を投稿できないのだろうか.....と脱力してしまいます。
日本人の学生は、O氏のようにコピペしなければ論文すらかけないようになってしまったようです。

  • 三橋龍一
  • 2015年02月11日 18:12

 先生の立場になると大変ですね。研究室のかつての中国人留学生は皆真面目に研究を行ってくれて助かりました。日本人の学生は自分の国にいる気安さもあるせいか、留学生に比べると真剣味不足ですかね。まあ、先生は苦労するものだと割り切っていると腹も立ちません。現役を退いたので呑気な事を言っているようですが・・・

  • ブログ子
  • 2015年02月11日 21:24

札幌での滞在期間が短かったですが、青木先生とお会いできたことは我々家族全員にとって何よりも一番素敵な思い出になりました。先生と別れた翌日家族を連れて北大のキャンパスを散歩していたりして、改めて時間の経つ早さを実感させていただきました。いままで先生のご指導やお世話をいただいた留学生たちは皆それぞれの道を歩んでいるかと思いますが、どこに行ってもきっと私と同じく先生への感謝の気持や北大への深い思念が一生忘れられないと思います。この場を借りて、留学生をお世話いただいた先生方に心から感謝の御礼を申し上げたいと思います。

  • 徐 軍
  • 2015年02月13日 02:03

>徐軍君 ご家族を連れての日本旅行は大変ではなかったかと思っています。徐君のご家族皆元気で何よりです。夕食会で話題になった、瀋陽工業大学の関係者でお亡くなりなった先生達、留学生も居て、年月は確かに経っています。留学生の子ども達が世に出て行く時代になって来たのですから、私も齢を重ねたものだと思っています。私の体力と気力が残っていれば、中国で又お会いしたいものです。

  • ブログ子
  • 2015年02月13日 05:00

青木先生
一週間の日本旅行は、家族全員にとって本当に素晴らしい思い出になりました。先生が撮影してくれたパノラマ写真は皆で一緒に何度も見ていました。今度ぜひ先生とご一緒に蘇州の綺麗な庭園や杭州の美しい湖のパノラマ写真を撮る機会があればと思います。中国でまたお会いできることを心よりお待ちします。

  • 徐 軍
  • 2015年02月14日 23:59

>徐軍君 蘇州・杭州を巡ってのパノラマ写真撮影は魅了的です。考えてみようと思います。4月、5月、6月の3か月は札幌市民を連れて札幌市内や近郊の秘境ツアーのコンダクターをやりますので、中国に行くとしたら7月以降になります。余り暑い季節を避けるとしたら9月、10月辺りですかね。計画を練ってみたいと思います。

  • ブログ子
  • 2015年02月15日 04:29
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