2015年06月08日

今日(6月8日)の一枚

手稲山 登山口かな 石碑在り

 西野川沿いの舗装された道を朝の散歩コースに選ぶ。この小道に石積みがあり、その石の表面に「手稲」と「登」の文字が見える。「手稲山登山口」の文字の一部ではないかと推測している。この辺りに手稲山登山道があったのかもしれない。

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気になったので調べてみました。

この「手稲 登」石の寄贈者名は最初の漢字の「冠」だけが見える状態ですが、広島開墾開拓者の一人と同じです。ここの敷地西側にある2つの碑は昭和51年と52年に建立されており、「手稲 登」石に見える寄贈年も、その頃の5X年です。
この付近の西野川の整備は平成10年代で、ここの敷地付近の流路が西側(敷地側)に移動しています。

平和から手稲山頂への自然歩道の整備は昭和51年、北尾根ルートは52年のようです。西野からはネオパラ山方向への登山道(林道?)もあるようですが、土地管理者への入林許可が必要となっているようです。

この石はおそらく開拓者の関係者の方がどこかに寄贈されたものが、西野川両岸の歩道整備後にここに移され、囲いとして置かれたのではないかと思います。

  • ことにん
  • 2015年06月21日 20:46

 そうでしたか。とことん調査されて感服です。石囲いに利用するとしても、石碑の文字がもっと見えるようにしておけばよいものを、と思ってみるのですが、埋めてしまいたい事情もあったのかも知れません。

  • ブログ子
  • 2015年06月22日 02:48

同じ敷地にあった馬頭観世音碑のおかげです。残りは小冊子「新西区のおいたち」(礎石に乗っている馬頭観世音碑のイラストが載ってます)とさっぽろ文庫「札幌の碑」。残念だったのは、敷地の対岸を見ないまま、家に帰ってから西野川の流路変更に気づいたこと。地図を見ると条丁目の境界がこのあたりだけ川の右岸に食い込んでました。
ここの近くの西野コアラ公園、いたのはコアラでなくゾウ。西野パンダ公園には動物はおらずキノコ(近くにパンダ焼の店がありましたが)。

  • ことにん
  • 2015年06月24日 05:36

 コアラ公園は家1軒分の敷地の広さで、多分物納された土地だろうと思われます。高齢化社会で少子化ですと、こんな物納の小規模公園があちらこちらに出現することになるのかもしれず、街作りも考える要素が増えます。

  • ブログ子
  • 2015年06月25日 12:28
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