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2015年10月12日

シリーズ1973・「パノラマ写真」ここはどこ

 この懇親会に出席した方でなければわからないとは思いますが、記録のためにここはどこ。


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「大手町」という地名が窓の外に確認できます。旧日露漁業社屋とのことです。

  • ことにん
  • 2015年10月12日 20:58

 パノラマ写真の窓の外のあの小さな「大手町」の文字を見つけたとは恐れ入りました。旧日露漁業の社屋で今はCafe & Deli MARUSENという店になっています。

  • ブログ子
  • 2015年10月12日 21:10

 ここのパノラマ写真で、あのお店が解るとは!
 もう、びっくりです!
 恐れ入りました♪

 

 

  • F
  • 2015年10月13日 12:15

>Fさん 全く同感で、函館の人でもわからないと思われるのに、札幌の人(多分)が探り当てるとは、これはもうびっくりです。 

  • ブログ子
  • 2015年10月13日 16:02

最初は、サッポロファクトリーのような場所や倉庫のような建物内店舗かと思いました。店名の「Cafe & ??」の??が「Bal」か「Din??」のような感じだったので探してみたんですが、しっくりくる店がなく一度あきらめました。ただ、外が暗いだけで建物内店舗ではないのかもと思い、何か写っているのではと窓の外を見たところ、函館の地名を発見したという次第です。場所がわかると、店名もすぐに検索することができました。

  • ことにん
  • 2015年10月13日 21:40

>ことにんさん 手稲宮丘小学校のオブジェの作家の割り出しも加えて、探索・推理の力には敬服です。

  • ブログ子
  • 2015年10月14日 00:34

気になったのは、日露漁業と日魯漁業です。露も魯も同じ意味なので同じニチロだと思いますが。

  • ことにん
  • 2015年10月17日 18:40

>ことにんさん ニチロの旧社名は「日魯漁業」でした。訂正です。

  • ブログ子
  • 2015年10月17日 19:42

このカフェのサイトでは「旧日露漁業」となっており、いろいろと調べていましたが、どうも、同じ会社で「日露」漁業と「日魯」漁業の両方が使われていたのではないかと思います。マルハニチロなどネットを検索しましたが、はっきりと分からなかったです。

  • ことにん
  • 2015年10月17日 20:17

>ことにんさん 旧会社名で営業が行われていた時には、二つの会社名は有り得ないでしょうから、新会社名になってから旧会社名の記述が混乱しているのではないかと思います。

  • ブログ子
  • 2015年10月18日 17:49

「日露漁業」はどうも誤字のようです。新聞でも、神戸新聞 1925.1.3(大正14)や大阪朝日新聞 1922.9.20(大正11)のように「日露漁業株式会社」としていた例がありました。( 神戸大学 電子図書館システム)
函館から札幌といえば石川啄木、以下、この会社と札幌をむりやりこじつけ。
ニチロ創業者の一人が平塚常次郎、この方は札幌露清語学校(あるいは北海露清語学校)でロシア語を学んでいます。この学校の講師、伊東正三(伊東山華)は北門新報の記者で、北鳴新報創刊。
この北門新報は石川啄木が札幌で就いた新聞社。北鳴新報は啄木と親交のあった野口雨情の勤めていた新聞社。
ニチロ創業者のもう一人が堤清六。この方は新潟三条出身。同郷の方に丸井今井百貨店創始者の今井藤七。

  • ことにん
  • 2015年10月21日 21:56

>ことにんさん よく調らべられましたね。参考になります。最後の今井藤七については丸井今井デパートに藤七の銅像があって、写真を撮りに行ったことがあります。しかし、札幌三越デパートと一緒の経営になってから今井家に関するものは創業者の出身地の新潟三条の方に送られてしまっていて、結局銅像を撮ることができませんでした。少々心残りの事でした。

  • ブログ子
  • 2015年10月21日 23:57
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