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2018年01月31日

爪句集覚え書き―35集

 日記はどうして書き残すのだろうか。ノートに書く日記と、電子日記といわれているブログはどう違うのだろうか。ブログ記事を編集して本にした、この爪句集出版に際して考えてみた。
 日記は日々の記録で、記録は以前の状況をチェックしてこれからの行動の参考にする実用性の側面がある。手帳のメモよりは詳しく、後で見返して役立つ程度に書いておく。対象によっては、数年の積み重ねが貴重な資料になっているかもしれない。
 上記と重なるかもしれないけれど、自分の行動の証明としての記録簿にもなる。もし何か自分のアリバイを示さねばならぬような時に役に立つ。研究者が研究ノートを残すのも、研究に疑義が持たれた時、確かにあの時はこの実験を行っていた、といった最低限の(場合によっては最強の)証明になる。
 ある瞬間、あるいはその1日に抱いた感情や思いを書き残さねば、それは永久に消えてしまうような場合、日記として残しておくのは有効である。あの時はこんな風に考えて、この事をやり過ごしたのだ、と後になって振り返る手繰り縄になる。
 自分にとって大きな事件は日記に記さなくても、記憶の中にしまわれる。記憶は徐々に薄れて行くとしても、何かのきっかけや写真、思い出の品々で蘇る。
 これに対して、日常の繰り返しの事柄は、数日も経てば記憶の深海に沈んでしまう。特に齢を取ってくるとその沈み方の速度は速い。その平凡な日常を書き残すに値するものかとの疑義は確かにある。文字だけの日記なら、創作活動でもしていない限り、同じ事の繰り返しに対する思いを書いていても、作文の練習に終わってしまうだけだろう。
 この点、ブログでは多かれ少なかれ作品を制作している意識が働く。この爪句集のように1日1枚(日によっては数枚)の写真を撮り、句を付け、文字数の決まった短文を書くのは、日記の体裁にはなっているけれど、作品を日々創作しているところがある。ネットに投稿すれば目に見えない読者も予想される。応答の無い読者ではあるにしても、その評価にも耐えるように、と写真を撮り記事を書く。さらにブログ記事を編集して爪句集で出版する心積もりがあるから、書きっぱなしという事にもならない。
 もしノートに記した日記を印刷して本にする場合を考えると、ノートと印刷本の間には距離がある。壁と表現してもよいだろう。この壁を超えて本の形にした時の達成感はかなりのものである。本の体裁にする点では、ブログ記事と印刷本との見た目の段差は低い。実際に本にする壁を高くしているのは印刷経費だろう。ブログ記事をプリントして綴じても結構印刷本に近づく。ノートの日記とブログの電子日記の違いがここにある。
 印刷本に近い形式のブログなら、手間と経費をかけて印刷本にするまでもないだろう、という考えもある。ただ、ブログは読み捨てられる運命にある。自分のブログ記事でさえ、何か調べる必要性が生じない限り、過去の記事を見返すのはめったにない。これが印刷本になれば手に取ってパラパラめくる事ができ、又実際そうしている。
 本爪句集は、これまでの爪句集同様毎日「今日の一枚」のタイトルで書いているブログ記事から抜粋したものである。爪句集出版の編集作業で、2017年という一年も、私的にはこんな事柄があったのか、と改めて振り返る機会を得る事にもなった。本爪句集が単なる著者の日常のメモに留まらず、読者を得る写文集(画文集に対応させて)になっているなら、印刷本にした甲斐があるというものである。
 2011年の「爪句@今朝の一枚」(第12集)から始まって、その後「爪句@きょうの一枚-20xx年」としてもう7年もブログの電子日記を印刷本として出版してきている。その原動力は、やはり日が改まる毎に新しい対象を見つけ写真に撮り、作句し短文を書くのが面白いからであり、印刷本にする充実感があるためである。

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