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2006年12月12日

楽山居と水琴窟

 夏の海水浴シーズンや秋の鮭祭りの頃に石狩浜の弁天歴史公園は人で賑わっていて、これらの行楽を楽しむ人が乗って来る車で、公園近くのパーキング場は混雑を極める。こんな時にこの公園を見ていると、ここは秘境からほど遠い。

 しかし、弁天歴史公園にある写真の句碑に刻まれた「俤(おもかげ)の 目にちらつくや たま祭り」が、秩父事件の首謀者の一人の井上伝蔵の句で、井上は伊藤房次郎と名前を変えてこの地に潜伏して、俳句の結社「石狩尚古社」に参加していたと知ると、俳句を介してのこの地の秘境部分が顔を出す。秩父事件は農民蜂起事件で、困民党軍会計長だった井上伝蔵は、事件鎮圧後の欠席裁判で死刑の判決を受けている。

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 この弁天歴史公園内には一九三七年(昭和十二年)に建築当時の姿に再生された「楽山居」という和風の建築物がある。建物の名前は前述の石狩尚古社の最後の社主である病院院長鈴木信三の俳号からつけられていて、ここで句会が頻繁に行われていたようである。井上伝蔵がこの楽山居に集った参加者の一人であったのかどうかは知らない。

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 楽山居の建物は凝った造りで、絵をあしらった欄間、精巧な模様の入った障子、廊下のガラス戸の向こうには石庭が広がっている。弁天歴史公園にはガイドが常駐しているのだが、この日は都合が悪くて出勤していないとのことである。公園の受付とおぼしき女性が、客が我々だけであることもあって手持ち無沙汰なせいもあり、丁寧に案内してくれる。

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 石庭の飛び石をつたって案内されたところに写真の蹲(つくばい)があって、柄杓で水を掬い石が積んである場所にかける。少し時間が経つと琴を爪弾いたような音がする。金属を叩いた音と表現が近いかも知れない。これは以前聞いていた「水琴窟」である。こんなところで水琴窟と初対面とは驚いた。

 水琴窟の原理は水滴の落ちる音を反響させたものである。穴を空けた甕を、穴が上になるように逆さまに地中に埋め、その上に小石などを敷き詰め、注がれた水がこの穴から空洞の甕の下に落ちるようにする。この時、落ちる水滴が下に溜まった水に当たり音を発し、この音が空の甕に反響した音が地中から聞こえてくるのである。

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 江戸時代には庭園に設置されたものがすたれ、近年になって再発見されたいきさつで設置するところが増えて来た。水琴窟設置を手がける業者もあって、色々な形の水琴窟がインターネットでも見ることができる。しかし、それほど多くの実物を見ることはない仕掛けであることは確かで、楽山居の庭で秘境の音を聞いたような気分に浸ることができた。

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