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2007年05月16日

太平山碑と朝里川河口

 太平山碑が朝里にあるとインターネットで見つけたので見に行くことにする。そもそも太平山碑が何であるかこれまたインターネットで調べてもあまりはっきりしない。太平山信仰のようなものがあって、石に文字を彫ってこれを特定の場所に置いておくものらしい。庚申塚の類なのかも知れない。

 太平山碑の場所が書いていないので、朝里の郵便局で切手を買い求めたついでに聞いてみる。何でも朝里川の河口付近にあるらしいとのことで、海岸とすれすれに走るJRの電車路に沿って車が1台通るのがやっとの道を、対向車が来ないことを祈りながら道の終点まで行ってみる。しかし、それらしきものがない。

 車を降りて、朝里川の河口に架かる端の傍を探してみると祠があり、お地蔵さんが並んでいる。施錠してある祠の窓越しに中を覗くと石が三つ並んでいて、それぞれの石に文字が彫ってある。しかし、手前の机が邪魔になってよく見えない。壁には大きな下駄が架けられていたけれど、その由来や何のためのものかは分からない。

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 インターネットで見た説明では、太平山碑は、1857年に朝里の鍛冶屋の柴田長太郎が発願して建立され、魂入れは定山和尚が行った。碑に文字を彫ったのは手宮洞窟(国重要文化財)を発見したという石工長兵衛で、祠の建立祭は1867年である。以来、今日まで130年以上にわたり、毎年8月にお祭りが続けられている、とのことであるけれど、札幌市民の筆者は当然というべきか、この祭りは見たことも聞いたこともない。

 この説明に出てくる定山和尚は定山渓の名前の元になった人物で、朝里と定山渓を結ぶ道道小樽定山渓線の最初の開削に関係している。この道路は地図には道道1号線となっていて、道道の1番目ということからして、歴史的には重要な道路であったらしい。現在この道路は小樽と定山渓という二大観光地を結ぶルートで、シーズンには観光でよく利用されている。しかし、今年(2007年)の春に道路の崩落があって、閉鎖中であるとの新聞報道を目にしている。

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 朝里川の方は雪解けのせいか水量が多くて、これが朝里の海に勢い良く流れ込むのを橋の上から確かめる。朝里のここら辺は山が海に迫っていて、JRの線路は河口の上を、国道5号線は写真の上の方に写っている橋を通っている。JR線は札幌と小樽を結ぶ幹線で、よく電車が通過する。太平山碑の祠の傍を通過して行く列車の写真を撮ってから、関係者以外にはほとんど知られてはいないだろう場所を後にした。 

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