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2007年10月28日

榎本公園

 定山渓を発し、札幌の街を横切り、石狩川と合流する豊平川は、かつては江別の発祥の地対雁(ついしかり)にその石狩川への河口があった。対雁も津石狩から名前が来ているとのことで、この地は水路の要衝であり、鮭が獲れ、その交易で栄えた場所であった。

 しかし、鉄道が出来て石狩川の持つ交通の重要性が失われ、川沿いの集落は鉄道沿線に移ることになり、この地はさびれた。対雁の村落は江別村の元江別となり、その後江別市の対雁地区として組み込まれた。現在は石狩川沿いの工業団地が広がる場所に元江別の名残があり、榎本公園となっている。公園は国道275号線(空知国道)と国道12号線を結ぶ国道337号線(対雁通)の脇にある。公園は豊平川の改修工事で本流から切り離された部分が、世田豊平川としてかろうじて残された水路に沿ってある。

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 公園内には「対雁百年碑」があり、碑文にこの地に対雁神社があったことが記されている。石狩川治水工事のため対雁神社が解体され、そのご神体の天然石がこの碑の中に埋め込まれていることも碑文から知ることができる。

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 この公園が榎本公園と名づけられているのは、明治維新政府と戦った幕臣榎本武揚が後に開拓使からこの辺の土地を払下げてもらい、農場経営を行ったことによっている。騎馬姿の榎本武揚が公園内の石組みの円柱の上に設置されている。北海道を代表する彫刻家佐藤忠良が制作している。

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 榎本武揚の乗っている馬をアップの写真で見ると、ポニーかロバにさえ見える代物である。戦国武将が乗っている馬や、競馬で見るものとはかなり違う。多分道産子なのでこの大きになったのだろうと思われる。しかし、道産子のサイズを知らない人には、人物を大きく見せるため、このサイズにしたとの推測も成り立って、彫刻界の大御所の作にしては人、馬のバランスが悪いと感じるかもしれない。

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 公園の横にある世田豊平川を上から見ると、流れているとは思えない川の水面が草木の間から見える。ここを元の豊平川が流れていた頃は秋の今頃は鮭が遡り、それを捕まえるために集落の人々で賑わっていたとは、人影の見えない残された現在の水路の土手に立っていて想像するのが難しい。

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