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2007年12月23日

幻の江別の水運

 江別の生い立ちで石狩川の果たした役割は大きい。北海道の運輸や交通が石狩川に大きく依存していた時代に、江別は石狩川水運の要衝の地であった。北海道で最初の集治鑑である月形町の樺戸集治鑑が1881年に建設され、集治鑑専用の船が石狩川に就航している。この集治鑑は小説にも取り上げられて、初代典獄月形(これが月形町の町名となった)の名と共に有名である。

 この樺戸集治鑑が石狩川の航路の先鞭をつけており、1884年には石狩、樺戸間での客貨の輸送が始まっている。江別はその中継地の役目を担った。民間の汽船会社も設立され、1889年には石狩川汽船会社が営業に入っている。運輸の公共性もあって、北海道庁が経費の支援を行い(命令航路)、会社の経営如何で船が欠航しないように配慮している。この頃、石狩(河口)から江別までの所要時間は上り8時間、下り4時間、さらに江別から樺戸は上り9時間を要している。

 1890年には西田組汽船部も設立され、後に石狩川汽船に吸収された。石狩川水運で活躍したのは外輪船で、神威(かむい)丸、上川丸、空知丸が石狩から空知太(滝川)まで運行していた。この外輪船の上川丸の大きな模型が石狩川と千歳川(江別川)の分岐にある河川防災ステーション内に展示されている。

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 この江別の水運跡を石狩川や千歳川沿いにないかと探すのだが、それらしいものを見つけることはできなかった。ただ、千歳川の土手に史跡の標柱が建っているのを見つけた。標柱には「史跡 石狩川汽船 江別の水運と倉庫群」と記されていて、標柱の建っている場所から旧大久保倉庫や旧岡田倉庫が目の前にある。岡田倉庫は改装され、ドラマシアター「外輪船」として利用されている。

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 標柱から千歳川方向に目を転じると、新江別橋が見える。石狩川の水運に代わって、陸の大動脈となった国道12号線がこの橋を通過している。この橋の近くで千歳川は石狩川に注ぎ、その合流点に王子製紙の工場がある。王子製紙も石狩川を利用して紙の原料の木材を江別の地まで運んだ歴史を持っている。

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 対岸に河川防災センターが見える千歳川は、初冬の季節の中で流れの方向がはっきりしないほど緩やかである。この流れに昔の水運の活気を想像するのは、静か過ぎて幻の水運の言葉が頭をかすめるだけである。

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