2008年02月24日
爪句論
狸小路で托鉢僧が立っていました。一枚の写真からはこれだけです。この写真が生きてくるのは、これがテーマ性を持つ時です。森羅万象を膨大な枚数の写真(あるいは動画)で記録したからといって、テーマ性がなければガラクタ箱をかき混ぜただけです。テーマの世界線(相対論みたいですが)が時空間の一瞬の記録である写真を貫く状況を考えると、無数の世界線が一枚の写真を貫いています。それぞれの世界線の方向は一枚の写真からだけなら推測するより他にありません。
修行、僧、繁華街、狸小路の一日、天蓋、照明、衣装、etcと世界線(テーマ)が設定されていて、そのある一枚が提示されている、ということであればこの一枚の写真は他の写真(あるいは文章)との関わりで生きてきます。そうでなければ、これは何ということもないただの写真です。
爪句も写真と一緒になりテーマ性が少しは出せるとよいのですが、一枚、一句ではこれは難しい。普通の俳句では5・7・5の文字だけでこれを行っているのは、文芸というテーマ性にくくられた創作活動というところにあるのかな、と思っています。いくらでも5・7・5の並びの句なぞ作れるのに、これは俳句ではないといった漠然とした基準がどこにあるかといえば、このテーマ性を感じとれるかどうかにあるのかもしれません。
近い将来、この写真を生かした(生かせないかもしれないが)爪句集の出版を考えています。それは編集することにつながります。爪句は写真の整理が根底にあり、編集とは整理が最初のステップです。爪句は最終的には出版までを含む創作活動と捕らえています。最終的な出版で表現したテーマが読者に納得してもらえるなら、表現者(最近の言葉ではクリエータか)として成功しているし、そうでなければ失敗していることになります。
天蓋の 下に僧居て 修行の場
- by 秘境探検隊長
- at 05:30
comments
僧侶さんに寄進?すると、お経を唱えていただけます。そして「お言葉カード」もいただけます。そのカードには1枚1枚違う言葉があり、なんとなくその時に必要な言葉を授かったような気分を味わえるのでした・・・
モデル代でお布施を(ズダ)袋に入れようとしたら百円玉がない。狸小路だったので、すぐ傍の果物屋の店先で大きなお札でみかんを買って小銭にしてからお布施です。それで立ち去ろうとしたら呼び止められて、お辞儀され(さすがにお経はなかった)カードをもらいました。天女の絵に「正覚云々」の話が書かれてありましたが、当方爪句師なので一度読んだだけでした。実のところ墨染めの衣をまとって繁華街に立ってお布施をもらうのを一度はやってみたいものだと思っています。お礼には爪句集を差し上げる。坊主でないからそれはできないと言われそうですが、自称工房の「房主(ぼうす)」を名乗っているので、できなくもないかな、とは思っているのですが・・・
衣をまとう「房主(ぼうず)」様ですか?
それでしたら「eシルクロード房主」様なので、
中国っぽい衣装がよろしいかと・・・
私の占い師衣装はなぜか、チャイナドレスが多いのですが・・・
ず~と昔、杭州の岳飛廟で坊さんが使うような黄色のズダ袋を記念に買ったことがあります。この袋は利用されずにどこかに消えました。ああいうものを首から下げて一度托鉢修行をしてみたい。
爪句結社社主様
う・・・ム。
わたくしも社主様を見習いまして、修行は苦手なので、今年は、修行風な装いで秘境探検をしますか・・・。