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2009年10月16日

ハナラッキョウ

 近所からやって来たハナラッキョウの一鉢(正確には鉢ではないけれど)がテーブルの上にある。これでも撮ってブログのつなぎである。

 蕎麦のつなぎみたいなもので、本来の食材の蕎麦のようなものではない。このブログも食材の頭出しみたいなところがあって、目的の料理は紙媒体にあるのだが、世に出すまでに時間がかかる。

 昨夜の勉強会で、歴史で人間がこれまでに生み出して来た紙媒体の書籍類の累計ページ数(こんな統計をどのようにして出してくるのか頭を捻るけれど)を、近年のブログのページ数が桁違いに抜き去ってしまった事実が、いかに紙媒体と電子媒体の世に出てくる速度の差があるかを再確認させられた。

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 これまで発行された紙媒体の総数をブログの総ページ数がいとも簡単に抜き去ってしまったということをお聞きし、「なあるほどねぇ~」と思っています。
 私が使用しているgooのブログだけでも毎日130万余りの投稿がありますからね。

 こうして誰もが発信者たりえる状況になったことによって、人間の文化とか、考え方などにどのような影響があるんでしょうかねぇ…。

 隊長様の場合はブログは食材の頭出しのような存在と言われましたが、私の場合などはブログそのものが目的化しているようなところがあります。
 ブログに投稿するために街を歩き回り、どのようにまとめるかと頭をひねり、どれだけの方がアクセスしてくれたかと一喜一憂したりと…。
 ブログを投稿(書く)することに毎日の生きがいを見出しています。オーバーに言えば自分の生きた証を記そうと…。
 このように一人ひとりにとってけっこう大きな意味をもっているように思えるブログの世界の発達を隊長様はどのように見ておられますか?

 

  • 田舎おじさん
  • 2009年10月17日 09:17

田舎おじさん ブログは確かにコンテンツ制作の上からは、革命的なことだと思います。紙メディアの本であれば、著者がいて、編集者がいて、出版社や流通業者もからんで、皆別々の業界が連携して、本というメディアを世の中に出しています。

 購入者も書店(インターネットを利用しても)を介して、著者とは無関係の状態で本を購入します。メディアの生産者と消費者が別々に存在してきたのがこれまでの、紙メディアのあり方です。

 これに対して、ブログは著者がネットで投稿するだけで、直接読者に内容が伝わります。ブログを書く人は、またブログの読み手でもありますから、書き手からすぐ読み手に変わります。ブログで提供されるコンテンツの生産者でもあり、消費者でもあります。

 このような状況がCGM(Consumer Generated Media)の用語で解説される場合もあります。

 ブロガーが一人で操作するメディアも文章、写真、音楽、映像、インターネットと多岐にわたり、素人が一人でこれを行っているのは、一昔まえには考えられなかったことです。一人の人間が作家であり、写真家であり、音楽家であり、メディアの営業マンであり、等々とやっているのです。

 こうなると、確かに面白いことです。本を書いても、読者からの反応が著者に返ってくるのは極めて少ないものです(本が売れたとしても)。ところが、ブログによっては、毎回読者のコメントがある。これならブログの書き手も気合が入るというものです(でも毎日なら大変なことだろうと思われますが)。

 そこで、このような状況で(私が)なぜブログと比較したら気の遠くなるような時間をかけて、他人の思惑にも配慮して、紙メディアに固執するかというと、その制約があるためというのも一つの理由です。

 楽器の例ですと、電子楽器でピアノを模擬する技術では、人間の指を10本を越えて100本にだって、1000本にだってできます。ピアノを弾くと同時にギターの演奏だってできます。楽器の練習をしなくても、楽器を弾いたと同じ効果を他に見せることもできます。

 しかし、音楽家は人間の10本の指で弾くようになっている古来からのピアノで、その制約の中で弾こうと努力します。何で楽器の制約に固執するのか、考えれば不思議ですが、制約があってこその芸術ともいえそうです。

 ブログと紙媒体の本もこれに似たところがあります。俳句も宗教も、制約がなければ成り立たない仕組みです。技術とか科学はその制約を乗り越えるところに、本来的なものがあるので、文科系、理科系と一般に言っているのものの間には、深い谷があるように思えます。

 まあ、文章を書いて伝えるのも、制約が多いもので、このくらいで止めますが、これが宗教になると、言葉の制約を一挙に超えようとして「不立文字」の言葉を持ち出し、一切の説明も省略してしまいます。 

  • 探検隊長
  • 2009年10月17日 10:39

 隊長様
 私の素朴な質問にとても丁寧にお答えいただきありがとうございます。
 CGMの普及が特に商品業界などに大きな影響を与えていることも教えていただきました。

 また、隊長様が紙媒体にこだわりをもたれている理由も大変良く分かりました。
 「不立文字」などという言葉も教えてもらいました。
 ありがとうございました。

  • 田舎おじさん
  • 2009年10月17日 17:46
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