2011年01月14日
北海道開拓の功労者を祀る開拓神社
北海道神宮の末社で、社殿は神宮の境内にある。北海道長官の提唱で1938 (昭和13)年に建立され、北海道開拓の功労者が祀られている。祀られている諸神は37柱を数え、日本史上の歴史的人物が名前を連ねている。
祭神の中には、樺太探検で間宮海峡の名前を留めている間宮林蔵、日本全国の地図を作った伊能忠敬、ロシアと交渉を持った廻船問屋の高田屋嘉兵衛らの名前がある。北海道開拓の立役者としては、初代開拓判官島義勇、開拓長官黒田清隆、初代北海道庁長官岩村通俊、屯田兵の父永山武四郎、家臣団と当別に入植した伊達邦直、十勝開拓功労者依田勉三らの名前がある。例祭日は8月15日で、この日は蝦夷地から北海道と呼び名が変わった日であり、祭神の一人の蝦夷地探検家の松浦武四郎の提案「北加伊道」に由来している。
社殿は本殿の前に壁の無い、柱と屋根だけの部分があって、普通の神社の作りとは異なっている。雪の季節には、積もった雪が屋根の輪郭を際立たせている。開拓時には難儀の対象であったろう雪を、屋根の雪で象徴させているかのようである。壁の無い屋根の下からは、北海道神宮境内の道行く人を見ることができる。神社の入口を横切り、瞬時に視界から消える人の影の写真を撮ってみる。
象徴は 雪積み屋根で 開拓時
社殿から 撮る人影の 瞬時像
- by 秘境探検隊長
- at 00:10
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この開拓神社に、明治の開拓功労者の外にも国際的偉人などが37人も祀られているのは知りませんでした。
祭神の中には、昭和一桁と言われる私達の年代から見ると、すでに歴史上の人物ですが、まだ神格化されていない開拓の功労者が○○農場の名で、祖父や父母などが交わす日常会話に頻繁に上っており,記憶にあります。
間宮林蔵の名は北海道開拓とは直接関係がありませんが、樺太と北海道との関係ガ密接で、当時小学生の歌にまで良く知られておりました。
以下は、断片ですがその歌詞です。
① 千代田の春風のどかに馨りて満都の市民は花にぞ眠る、この春この宵誰かは覚めじ、間宮海峡、さざなみ騒ぐ。
② …吹雪の中に虎穴を探れる、もののふあわれ、齎す獲物は羆か虎か、間宮海峡、尽きせぬその名。
今朝の一枚からの印象は、私にとって秘境探検記の域を超えて、70年も前の懐かしい追憶に連なる北海道開拓をテーマにした壮大な叙事詩です。
引用の間宮海峡が詠い込まれた歌は聞いたことがありません。昭和1ケタと2ケタではかなり世代差があるようです。Mamiya(間宮)の名前は、日本のアマチュア天文家が発見した小惑星にもつけられています。