2011年05月11日
幹に咲く梅の花
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」の諺があるように、手間隙をかけるところでは、梅の木をよく剪定する。春先、梅の木を見ていると、枝を払われたせいか、幹に直接花がついている梅を見かける。また、花枝が出る前に、花が太い枝に貼りつくように咲いている。北海道では梅と桜は同時に咲くので、花の区別が紛らわしいけれど、幹に数輪咲いているのは大抵梅である。桜吹雪の言葉があるように、風で散る桜は見応えがある。これに対して、梅の花はいつまでも木に張り付いている。
剪定木 執念見せて 幹の花
幹枝に 花枝(はなえだ)待てず 直に咲き
- by 秘境探検隊長
- at 00:45
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梅の花が幹から直接咲いているのを見たり、桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿の諺も、大抵の人は一度や二度は聞いた経験があると思うのですが、このように改めてプログで提示されると、私達の周りにはまだまだ知っているつもりの未知の現象がゴロゴロしている事に驚かされます。
今日のテレビニュースで「最近の若い男性の一番の悩みは何か?」とのアンケート結果は「考えている事を人に伝える能力の低さ」でした。
写真と爪句と説明との3点セット方式のプログには不思議な説得力があると注目したからとて、簡単に真似の出来るスタイルでは無いと良く解っておりますが、プログフアンの一人として、爪句シリーズを教育分野の専門家が学習手法として研究し採用され、さらに遠からずギネスブックにでも載った途端に海外からも広く応用されると予感しております。
最近は直接話法で他人に伝えず、妙な間接話法を用いる会話や意見表明が流行っているようです。これは若い人だけには限らないようです。「私はこう考える」と言う代わりに「私はこう考える人なの」と自分を客観視したような会話をしている。批判があれば、当人に直接ではなく、そう考える人に言ってくれ、といったニュアンスが込められています。主体性をぼかしては、自分のことをうまく伝えられないし、またはっきり伝えることに尻込みしている心理なのだろうな、と思っています。