2013年11月24日
HPFhito14・教育長室の町田隆敏札幌市教育長
人は生きるための糧を得るため職業人となる。職業人は社会人と言い換えてもよい。職業人あるいは社会人は他人に自分の仕事を話す時、関わっている具体的対象を主に語るか、組織等における役職を前面に出してくるかに大別できそうである。
研究者は何を研究しているか、営業マンなら何を扱っているのかがポイントで、研究者とか営業マンとかだけ言われても雲をつかむような話である。何々のプロと表現される人は、その何々についての知識とそれを基にした創造性や実行力があると他からは期待される。
これに対して組織の長とか経営者は、その立場が先に来て、その組織や会社の内容が後追いでも、その人の立場は理解できる。一般論で、役所では若い時には専門性が要求され、組織の上の方に行くと組織を維持する方に力点が置かれて人が当てはめられる。当てはめられた人はその役どころをこなしていく。
町田隆敏氏は長いこと札幌市の経済産業分野で仕事をされて来られたので、その方面での人脈がある。特に札幌市が1970年代に地元の情報産業育成に乗り出した頃、市と産業界や大学との接点となる場におられ、経済産業畑の役人のイメージを強く引きずっている。
筆者が北海道のIT産業の育成に功があったとして、2013年度の北海道功労賞を高橋はるみ北海道知事より贈呈された。その記念誌発行に当たって、筆者のことを紹介する執筆陣のお一人として町田氏に加わってもらった。執筆内容についての打ち合わせで伺った時は、町田氏は札幌市の教育行政のトップに居られた。正直なところ、経済・産業と教育行政がスムーズにつながらない。しかし、組織の長という点では違和感がなかった。
市の教育行政は教育委員長をトップにした教育委員会があり、それを支えて教育行政組織が存在し、その長が教育長となる。教育委員長と教育長の役割分担など、一般市民にはよくわからない。教育委員会は市庁舎のどこかにあるのだろうと漠然と思っていると、民間の企業の名前がつき、多分その企業が所有するビルの中にあって、意外な感じである。
札幌市教育委員会の目立つ看板もないビル内で町田教育長とお会いする。長年にわたっての顔見知りで、やはり教育よりは経済・産業の顔を見てしまう。多分近年の教育における問題への対応に頭を使われているのだろうけれど、筆者の方は情報技術に関連した研究者と教育者の顔で話をする。
筆者の紹介は過去の業績ではなく、退職後始めた「爪句」やパノラマ写真に関連して、生涯学習の観点から紹介してみたい、との町田氏のお話である。教育行政の目配りは生涯教育にも注がれているのかと、人=f(立場)(人の評価の関数値は立場という変数によって決まる)という方程式が頭に浮かぶ。
教育長室を見るのは初めてなので、執務状況が伝わるようなパノラマ写真を撮る。でも、考えてみると、筆者も今やパノラマ写真家を自称していることもあって、死ぬまで何かの対象一筋の研究を続けるという筋金入りの研究者でもなく、昔の筆者を知っている人は現在の筆者を見て違和感を覚えるかもしれない。
- by 秘境探検隊長
- at 06:07
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札幌市の教育行政に於いて、教育委員長をトップとする教育委員会と、其れを支える教育行政組織があり、その長が教育長であると初めて明確に分かりました。
また、経済・産業畑の方が大学と産業界の接点に所属しているのは意外との受け方は否めないでしょうが、IT界の重鎮が爪句とパノラマ写真家への変身を、生涯教育の観点から見てくれる方が居るのは、プログ子先生と町田教育長との相互の人脈理解からの当然の帰結として頷けるのですが、私などの長期にわたるバイオ研究と、金融畑一筋から変身の違和感を殆どの方から仏拭頂けていないのは、いまだに期待相応の研究成果を明確に提示出来ないで居るのが決定的要因と諦めております。、
植物や化石動物の新種の発見が時たま新聞で報道されることがあります。発見者がすぐにそれが新種であるとは言えず、その後専門家(研究者)のところで、時には何年もかかって新種であることが確かめられます。一般に研究と言われるものはこの新種決定の専門家(研究者)の地道な息の長い作業のことを言います。
新種発見の糸口になった最初のサンプルを発見することは、研究に関係があっても研究ではありません。在野で呼称する研究は、往々にして新種発見の糸口を見つけることを言っています。ただ、発見と検証のシステムがうまくつながっていると、世の中で理解されやすい。
新星の発見など、発見者が毎晩空を観察していて、そのデータを専門家の組織の検証機関に送ったら新星であると認定された、というプロセスは大方の人の理解の中にあるので、新星発見者=天体観測(研究者)となります。
さて、伊東さんのヒマワリ花粉(研究)ですが、一般の人にはどこが研究の領域なのかが理解されない点がボトルネックなのでしょう。何を目的にどんな手法で行ってその成果は、といったことが他の人のわかる方法(例えば集会での発表とか論文発表)で公表する必要があります。
これは職業として研究を行っている人のやり方で、在野の研究者には環境も資金も無いというのも現実です。しかし、このインターネット時代にやり方はありそうです。こつこつと研究の糸口になることをネット(ブログとかHP)で発表する方法です。
しかし、あまたあるサイトにヒマワリ花粉(研究)のサイトを開設したところで、更新もせず単発のものであれば早晩情報の海に飲み込まれてしまうだけです。
研究者である特質はあるテーマを新しく見直しながら長く続けることができるかどうか、です。
この続きを長々と書けるのですが、時間がもったいないのでここで止めます。
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町田教育長が教育者の顔と情報技術研究者と二つの顔を兼ね供えているらしいとの違和感を払拭出来ないで居りましたが、先ほど「サッポロバレースピリッツト」に登場している「技術者群像」紹介の末尾に、当時の北海道経済産業局長高橋はるみ現北海道知事と、高橋昭憲㈱データークラフト代表取締役と、お二方のサッポロバレーへの期待記事が載っており、次のページに当時のさっぽろ産業振興財団情報産業振興部長の立場で、札幌市経済局産業振興部課長職(現札幌市長政策室企画部長・酒井裕司氏による「智によって革新するイノベーションシテイ札幌の戦略」が対談形式で詳細に語られており、やっと違和感の解消です。
「サッポロバレースピリッツト」はその前に出版された「サッポロバレーの誕生」が好評だったので、その姉妹編として出版されたものです。しかし、二匹目のどじょうで、思ったようには捌けず、在庫が某所に今でもかなりあるようです。
それはさておき、懐かしい面々の若かりし頃の顔が並んでいます。このムック本に登場の何人かは、今回のブログ子の受賞祝賀会にも出席していただきました。
あの人はどうなっているのかな、という方もおられます。札幌(北海道)のIT史のある時代を記録している史料ですね。
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サッポロバレーの誕生と、サッポロバレースピリットは、私にとって、手元にある最も重要なバイブルともいえる貴重な2冊です。
特にサッポロバレーの誕生は、目下私が追及しているひまわり花托抽出液で酷く汚染してしまったため2冊目を購入したほどで、今も在庫しているとは、ある先駆者が孵化の過程で実感した北海道の後進性なのかも知れません。
金融機関に46年勤務して、その後、地元企業に勤務してから身に沁みて感じていることは、現在の金融機関の与信業務(融資)に際して如何に相手企業の業界、特に情報ベンチャーとか、特にバイオ系ベンチャー業界への目利き能力の低さでした。
このことは,疾走する先駆者たちが共通して舐めて乗り越えた苦難の軌跡から読み取れます。
融資とか株式公開など投資業務に関わる社員には「これを読め」と云いたいのです。
定年退職後顧問として迎えられた深川市のソフトウエアー開発のオスカーがサッポロに進出しソフト拠点を開発する構想記事に並んで、道内の有力ベンチャーが資金調達と株式公開を急いでいる記事が日経に特集されました。
結果的にはNECやゲームソフトメーカマテルなどとのパイプや、メインバンクとの関係後退など幾つかの要因も重なり不運にも挫折致しました。
上記記事には、村田利文氏のソフトフロントやBUGの若生英雅氏や松井文也氏のアジエンダや浅田一憲氏のオープンループなどが載っており、先日の青木先生の功労賞祝賀会に馳せ参じた「情報ベンチャーのシンボル」服部裕之氏をはじめIT関係の各位を見て、成長分野への進出を虎視眈々と窺っている大手との攻防に命を賭けて勝ち残った姿を垣間見ました。
サッポロバレースピリットの軌跡は、現在太陽系の楕円形の一番遠い位置と思いますが、これからは日を追って太陽に近ずくと思います。
言い換えるならば、サッポロバレー ルネッサンスの幕開けです。
その軌道航行の重責を担い指揮を担っているのが青木先生と思います。
それに引き換え不運な私のバイオIT分野の軌跡は、先日太陽に最接近したものの、接近し過ぎて消滅したと思われるタイソン彗星と同じように、「青木先生のような求心力を持たない不運な彗星」のように、永久に交わることの無い放物線を辿る運命かも知れません。
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上記コメントに加筆お願いです。
末尾3行目の列、[青木のような‥‥」を「青木先生のような」と、ご訂正下さい。
宜しくお願い致します。
ブログ子は「ア」イソン彗星で、時代の進歩という太陽に呑み込まれて消滅です。