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2014年07月03日

HPFhito80・銀行員から転職し仕事に恵まれた北海道公営企業管理者伊藤邦宏氏

 旧北海道拓殖銀行(拓銀)が主催し、1986年に結成された「米国先端産業集積地域調査団」に筆者はコーディネータという役回りで参加したことがある。団長は拓銀副頭取加藤忠義氏(故人)、企画・立案は団員の拓銀常務石黒直文氏で、事務員として拓銀行員の伊藤邦宏氏が加わった。1986年には、新しい情報産業団地札幌テクノパークの中核施設となるサッポロエレクトロニクスセンターが同団地内に竣工している。当時拓銀は今後発展が期待されるIT産業に関わる地元企業を育成する目的のため、30名からなる同調査団でアメリカ各地で視察旅行を行った。
 札幌におけるIT企業は、黎明期からいくつもの成功譚が語られて成長していった。しかし、1997年バブル崩壊で拓銀が破綻する。同行の行員の多くは、拓銀の営業権を引き継いだ北洋銀行に移ることになった。その他の同行転職者のため、北海道も行員の受け皿として社会人枠を増やして道職員として採用した。ただし、原則40歳以下の採用で、採用年の1998年当時44歳であった伊藤氏の採用は稀なケースであった。
 伊藤氏は道に採用された後、課長登用試験に合格、IT産業推進、食と観光産業振興、企業誘致と、その時々の道の産業政策の要となるところで仕事をして、2013年には道の特別職の北海道公営企業管理者になっている。転職後仕事に恵まれたといえる。2013年「北海道功労賞」を受賞した筆者の祝賀会で、伊藤氏に挨拶をしていただいた。
 伊藤氏は1953年の札幌生まれで、札幌西高から京大に進学している。同大法学部卒業後拓銀に入行している。どうして拓銀を選んだかを聞いてみると、戻りたかった札幌に軸足を置いて、東京や海外での仕事ができる職場としての拓銀に期待したためとの答えである。願い通りニューヨークや東京での勤務が続き、東京では大蔵省を相手にしたモフタン(MOF坦)を勤め、企画・調査がメインの仕事であった。その行員生活は前述の拓銀破綻で終わりを告げた。
 伊藤氏に趣味の事なども聞いてみる。山登りだそうで、今でも暇を見つけて登っている。登山するようになったのは、運動部所属の息子と藻岩山に登った時に体力の無さに気づいたのがきっかけとのことである。道内の山はテントや自動車で寝泊まりしながらかなりの座数を登っている。登山することで森林とか地質等にも興味の対象は広がった。
 アメリカ旅行で伊藤氏と初めてご縁が出来てからもう30年近くになろうとしている。札幌における情報産業の企業と人も随分変わってしまった。これからも変わっていくだろうと思いながら、最後に伊藤氏の執務室でパノラマ写真撮影を行い、取材を終えた。(2014・7・3)


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