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2015年09月25日

シリーズ1952・「パノラマ写真」ここはどこ

 北海道遺産にも登録されています。さて、ここはどこ。


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野付牛村に建てられた大正期の洋館、札幌とのつながりをいくつか。

建築主の米国人宣教師夫妻は札幌にも滞在、夫人はスミス女学校や札幌農学校でドイツ語講義を行い、有島武郎も学んでいます。
建物の設計は、ハッカが原料のメンソレータム(現メンターム)を売り出す近江兄弟社のW.M.ヴォーリズ。この方は日本各地の建築物を設計していますが、札幌では大同生命ビルを設計した他、北星女学校(前身はスミス女学校)教師館などの設計を依頼されたこともあります。
「アカシヤが咲き札幌の二階住み」この句は、洋館のその後の持ち主である医師が「唐笠何蝶」の名で詠んだ句。

  • ことにん
  • 2015年09月27日 06:42

 詳しい解説有難うございます。実のところピアソン宣教師夫妻のことは、この記念館を訪問するまでほとんど耳にしておらず、初めてその足跡を少し知りました。記念館内にあった写真には、有島武郎や納豆博士の半沢洵らと一緒に撮った写真もあり、興味深いものでした。
 ヴォーリズ設計の様式2階建ての建物は一時荒れた状態にあったものを修復して現在の記念館になっています。電気の配線なども当時の様子を伝えています。
 宗教関係者の見学があるようで、撮影当日本州からの団体がバスをチャーターして見学に来ていました。

  • ブログ子
  • 2015年09月27日 07:47

私の一番身近な農学校の人は有島武郎の親友、半沢洵といっても過言ではないです。毎日、納豆を食べていますので。時には3食納豆のことも。

この洋館を見学した後は、近くのオホーツクビアファクトリーで一服、ご当地グルメのオホーツク北見塩やきそばもあります。

ヴォーリズとの間接つながりで、札幌のスキー始めと飛行機事故について。
ヴォーリズは、現在、東芝が所有している朝吹常吉邸を設計していますが、この方の岳父は長岡外史。陸軍師団長時代に新潟高田でのレルヒ少佐のスキー講習を主催しています(明治44年、日本のスキー発祥)。
もっとも、スキー始めは札幌がほうが早いようで、明治41年に農科大学(当時は東北帝大)教師のハンス・コラーが二本杖スキーを紹介しています。
また、長岡外史は飛行機関連団体の会長でもあり、大正5年に来日した飛行家アート・スミスを歓迎しています。このスミスは札幌での飛行時に墜落事故を起こし、区立札幌病院に入院しています。

  • ことにん
  • 2015年09月27日 08:54

 ことにんさんは納豆がお好きなようで、半沢納豆博士は身近に感じられる存在なのでしょうね。中国人留学生も来日時には納豆は食べられなかったのに、在日中に納豆が好きになる者も居て、帰国してからどうして納豆を手に入れるかを考えている、といった話を聞きます。
 長岡外史はネットで見ると異常に長い口髭の持ち主で、これは記憶に残りそうです。

  • ブログ子
  • 2015年09月27日 11:08
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