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2020年03月26日

爪句集覚え書き―43集

 シリーズで出版してきている爪句集の表題(書名あるいは句集名)を決めるのに頭を使う。野鳥の写真を集めた爪句集としては、最初は「札幌の野鳥」続いては「日替わり野鳥」と、それほど考えなくても済んでいた。しかし、同じテーマの爪句集が3集を重ねるようになると、既刊のものとあまり重ならない書名を選びたい。
 本爪句集は「365日の鳥果」としている。ここで「鳥果」は著者の造語である。釣りを趣味としない著者は最初「釣果」の熟語を見て「ちょうか」と読めなかった。「釣」を音読みにした熟語は他にも「釣竿(ちょうかん)」、「釣行(ちょうこう)」、「釣鉤(ちょうこう)」、「漁釣(ぎょちょう)」、「垂釣(すいちょう)」等とある。これらの熟語で一番目について使われるのが「釣果」である。
 「釣果」の意味は文字通り「釣りの成果」である。しかし、普通の会話には出てこない言葉だろう。「釣れましたか」とか「成果はどうですか」ぐらいを会話で話しても、「釣果はいかがですか」はほとんど耳にしない。したがって「釣果」を目にしても読めなかった、といった経験は著者だけに特別のものでもなさそうである。
 さて、話を野鳥の撮影に戻す。時たまカメラを持った野鳥撮影と思われる人に出合うと「野鳥(とり)居ましたか」、「撮れましたか」、ぐらいの会話になる。野鳥が上手く撮れて成果があっても、それを短く表す言葉がない。そこで野鳥撮影の成果を表現する言葉として「鳥果(ちょうか)」としてみた。呼び方も「釣果」と同じで、野鳥撮影の成果の感じが出る。
 爪句17文字に詠み込む熟語としても便利である。「野鳥撮影の成果があった」と表現する代わりに「鳥果あり」と5文字に納まり、爪句向きの熟語である。これを使わない手はない、と本爪句集では書名からしてこの造語を利用している。ただ、勝手に造語を使うのもいかかなものかという声が聞こえないでもない。第一造語の「爪句」からしてそうだろう。
 言葉(造語)は発案者のものだけのものではない。言葉は相手に意味や感情を伝える道具であるから、発案者だけが納得しているだけなら意味がない。そこでこの覚え書きに解説を書いている。ただ、表意文字の漢字を使うと、なんとなく造語の意味は伝わっていく。正確ではなくても「爪句」は「俳句」と同類のものらしい、とか「鳥果」は野鳥を相手にした成果らしい、と受け取ってもらえる。
 そうではあるとしても、発案者としては、造語を目にする人が直ぐに正確な意味を理解するまでになり、造語の市民権が得られるようにしたいものだと思っている。しかし、閲覧される事の少ないブログ書きや、販売数がごく限られた爪句集の出版では、過去から現在にわたっての言葉がひしめく表現の世界での市民権を得るのは至難の技である。その困難さはあるにせよ、世の中に認められるためには造語に関する説明や話題の積分値を増やしていくより他に方法はないだろう。本爪句集が「鳥果」の言葉を文字にした最初の書籍で、これからその言葉を使い続ける努力が、この造語の市民権を得る事につながるのではないか、と希望的観測を持っている。
 ただ、造語が市民権を得られなくても、それを使用している発案者が便利だと思えばそれで十分との考えもある。この点「鳥果」は著者にとっては使い勝手の良い言葉である。この一点に集中して、造語の市民権とかいった事に気を取らわれず、著者なりなに造語の利用の場を広げていこうかとも思っている。

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