新琴似屯田は一八八七年(明治二十年)に始まっている。入植した屯田兵の大多数は九州から新琴似の地にやってきて、家族も伴っている。温暖な地から寒冷の泥炭地にやって来て、開墾を行う苦労がいかに大変なものであったのは想像に難くない。開拓魂は九州ゆずりということになる。屯田兵の組織の中心にあった、中隊本部の建物が新琴似神社の境内に接して残っている。バルーンフレームと呼ばれる建物の二階から見える窓外の景色は、屯田の時代にはどんなものであったろうか。
拓魂は 九州ゆずり 碑に残り
屯田の 時代はいかに 窓の外