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2008年10月26日

新琴似屯田兵中隊本部

 新琴似屯田は一八八七年(明治二十年)に始まっている。入植した屯田兵の大多数は九州から新琴似の地にやってきて、家族も伴っている。温暖な地から寒冷の泥炭地にやって来て、開墾を行う苦労がいかに大変なものであったのは想像に難くない。開拓魂は九州ゆずりということになる。屯田兵の組織の中心にあった、中隊本部の建物が新琴似神社の境内に接して残っている。バルーンフレームと呼ばれる建物の二階から見える窓外の景色は、屯田の時代にはどんなものであったろうか。

拓魂は 九州ゆずり 碑に残り

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屯田の 時代はいかに 窓の外

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2008年10月25日

手稲記念館

 この記念館にはバッタ塚の土地を切り出した標本があり、写真を撮りにゆく。ついでに館内の展示物を見て回る。昔の生活用具などがあり、比較的新しいものでは足踏みミシンがあった。電動ミシンしか知らない世代なら、このミシンの使い方は判じ物だろう。使ったことはないけれど、運ぶのを手伝わされたことならある。結構重たい機械である。この記念館にはステンドグラスがはめ込まれているのに気がついた。ステンドグラスは緑でも、窓外は緑の季節が駆け足で去りつつある。

足踏みの 記憶の在りて 記念館

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窓外は 緑の季節 駆け抜けて

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2008年10月21日

秋の御膳水

 五号線で札幌の星置から小樽の銭函に入るころに御膳水という地名がある。1881年(明治14年)の天皇行幸で、艦船で小樽に着き汽車で札幌に向かった明治天皇が、沢水を飲んだという言い伝えからこの地名となった。御膳水宮と彫られた石が道路脇に置かれているけれど、車が通り過ぎるだけで、訪れる人も居ない。この碑と並んで長谷部虎丈子の句碑があり、「車組むや 一滴の油 地にひらく」の句がある。句碑の前に寒菊が咲いていて、殺風景な秋の景色に色を添えていた。

参詣は 落ち葉のみなり 御膳水宮

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一滴の 油に代わり 菊ひらく

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