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2006年12月12日

「石狩川」文学碑

 「石狩川」の作者本庄睦男は一九〇五年(明治三十八年)当別町太美ビトエ番外地で生まれている。父は佐賀藩士で当別において開拓に従事している。「石狩川」は当別に入植した伊達邦直家中の北海道開拓の苦闘を描いており、一九三九年(昭和十四年)に刊行された。本庄睦男はこの本が出た二ヶ月後に東京の自宅で死去している。享年三十五歳であった。

 「石狩川」は読んではいないけれど、石狩川の土手にあるという文学碑を見にゆきたくなった。文学碑の位置が示された地図がなかったので、インターネットに出ていた札幌から当別町に行く道が石狩川を横切る辺りの土手道という情報を頼りに、伏古拓北通から国道337号線に入り、この国道が石狩川を横切る札幌大橋を渡る。橋の上からインターネットでみた文学碑を目にすることができ、それを目指して土手道に入り、文学碑の前で車を留めて碑に近づいてみる。

 文学碑は石の塔の上に、開拓時代の家屋を象徴していると思われる形が乗っている塔部分と「文学碑 石狩川」のプレートがはめ込まれた低い部分とから成っている。開拓時代を象徴して、木を燃やして火を焚いているのを模した造形もある。文学碑の傍には説明板があり、この文学碑が一九六〇年(昭和三十九年)建立されたと書かれている。この年に著者は大学に入学している。

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 この場所へのアクセスの悪さか、それほど知られていない文学碑のせいか、ここは訪れる人も居ない。文学碑の場所から写真のように石狩川とその河川敷が一望に出来る。写真に写っている橋が札幌大橋である。この橋を通る国道は、石狩市から札幌市の北区の縁のあいの里をかすめて当別町につながる主要な道であり、交通量が多いところである。車が途切れるところを狙って写真を撮る。

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 その後、本庄睦男(の写真)に思いがけないところで出会うことになった。石狩市の石狩川河口の近くの弁天町で偶然入った石狩尚古社にこの作家の写真が飾ってあった。一九三七年(昭和十二年)「石狩川」の取材に石狩八幡町に取材に来た時のものと説明があった。この取材旅行の二年後に「石狩川」を上梓し、あまり日を置かずして亡くなる運命にあるとは思えない顔がそこに写っている。

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