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2006年12月12日

厚田古潭港弁財船投錨地碑

 国道231号線を石狩市厚田支所に向かって北上して走っていると、古潭の地名が出て来て、港が現れたので寄ってみることにする。港の近くには写真の「弁財船投錨地」と彫られた新しいそうな碑が古潭の海を背にして建っている。弁財船とはあまり聞いたことのない言葉で帰宅後に調べてみた。

 弁財船とは江戸時代の海の交通で大きな役割を果たした和船で、瀬戸内海地域で発達した。十八世紀以後は、北前船で代表される日本全国の長距離貨物輸送で活躍している。北前船は蝦夷地から日本海と瀬戸内海を通り、日本を端から端にわたってつなぐ輸送手段であった。弁財船の大きなものとなると、千石船とも呼ばれ、絵馬等に描かれている船は、中央に大きな帆柱があり、舳先と船の後部が反り上がっている形をしている。

 一八五八年(安政五年)弁財船がこの古潭の地にやって来て碇を下ろしたと碑の横にある紹介文に書かれている。この古潭の海には「弁天ぞり」と呼ばれる自然の岩礁が海に突き出していて、押琴(オショロコツ)湾と呼ばれる天然の良港になっていたのが、ここに弁財船を停泊させる理由になった。

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 古潭を含む厚田の地の海産物は弁財船で近畿地方に運ばれ、厚田は栄えることになる。財船投錨地碑の隣には「厚田村発祥之地」碑があるから、厚田はこの天然の良港から始まっている。古潭の港の小高い丘にある写真の郷社八幡神社は一八五六年(嘉永九年)に創建されている古い神社で、厚田の歴史の古さを証明している。

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 ここで郷社とは耳なれない言葉である。これはこの神社が道路の近くにあって、祭神に対して不敬を働くものが多く現れたため、神社を奉還して、その後社格が定まらないので郷社と称しているそうである。神社にも色々社格があるのを知った。

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 この神社の横から古潭の港が一望にできる。防波堤には車が並んでいるのが見られるが、これは週末釣りを楽しむ人の車である。ここは釣り人に人気の場所なのだろう。しかし、日本海から吹き付ける風が強くて、白い波頭も目立つ。今は秋だけれど、冬になり雪交じりの強風が海から吹きつける様を想像すると、厳しい北海道の冬の海が目の前に広がる。しかし、夏のこの地のすばらしい海も同時に思い描くことができ、今度は夏にこの海沿いの道をドライブしてみようと思った。

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