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2007年11月19日

大曲の百年橋

 この橋の名前は北海道に開拓使が置かれてから百年であることに由来している。橋は1971年9月に完成している。ここで北海道に開拓使が置かれたのは、1869年(明治2年)から1882年(明治15年)で、1870年から1871年の足掛け2年間は北海道開拓使と呼ばれている。これはこの2年間に樺太開拓使が置かれたため、新設樺太開拓使との関係で、元々北海道開拓の任に当たる役所であった開拓使を北海道開拓使の名前に変更したのだろう。

 この2年間が過ぎると、名前は元の開拓使に戻っている。北海道の開拓が進まないのに、さらに開拓条件の厳しい樺太まで手が回らず、樺太の開拓は頓挫したためである。もっとも、1875年(明治8年)の樺太・千島交換条件で、日本は樺太を手放している。北海道開拓使の廃止後は北海道には札幌県、函館県、根室県が設立された。開拓使の建物が復元されたものが野幌の北海道開拓の村にある。

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 橋の方は道道大曲中央通が高速道路の道央自動車道を跨ぐ部分にある。橋は古そうであるけれど、どうも高速道路が拡張されるのに合わせて造り直されて部分もあるらしく、古い部分と新しい部分が重なっているようである。「ひゃくねんはし」と「北海道縦貫自動車道」の二つの名盤が橋に埋め込まれていて、この橋の生い立ちを表している。

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 この橋の下を通る北海道縦貫自動車道は1971年12月に北広島と千歳間で暫定2車線で開通している。これは翌年の札幌オリンピック冬季大会に間に合わせて工事が進められたためらしい。この道路は現在は片側3車線の道央自動車道となって、ここを通過して西は札幌を通り小樽まで、北は士別剣淵、南は八雲までつながり、東は一部途切れて道東の足寄、本別まで延びている。

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 橋自体に見るべきものはない。精々橋の下の高速道路を、ひっきりなしに往来する自動車の流れに目が行くぐらいである。橋につながる歩道を歩いてみると、道端に「セピア館」の看板が出ている古物を扱っている店が目についた。百年橋はセピア色にはなってはいなかったけれど、この橋の完成の頃を写した写真があれば、それはセピア色になっているのではなかろうか、と思えた。

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