2007年12月24日

木製戦闘機の飛んだ飛行場

 江別の石狩川に接して工場のある王子製紙は、昔から紙を作る会社と思っていた。しかし、第二次世界大戦時には系列の王子航空機製作所が戦闘機を作っていた。それも木製の戦闘機であった。木製にした理由は、戦時中の物資不足が飛行機の胴体や翼に使われるアルミニウムに及んだためである。

 木製の戦闘機はキ-06と呼ばれて、その部品等は戦後最王子製紙に残されていた。しかし、製紙の本業に関係はなく、一方資料的価値はあるため、江別市の郷土資料館に寄贈された。資料館内で、展示されている木製の翼や戦闘機の車輪などを目にすることができる。

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 木製戦闘機を飛ばすには飛行場が必要で、戦時中元江別(見晴台)に飛行場が造られた。造られた木製戦闘機の1号機は札幌の陸軍の丘珠飛行場へ、2号機は東京の福住飛行場にこの江別の飛行場から飛んだ。3号機は格納庫で終戦を迎えた。この木製戦闘機を飛ばすことには役立った飛行場跡は、現在生活道路、住宅地、緑地に姿を変えていて、飛行場の面影は微塵もない。

 飛行場の跡に史跡の標柱が建っているというので、その場所を探しに出かける。飛行場の滑走路は江別第三中学校の横の斜め通りがその一部であったそうで、飛行場そのものは道道110号線の元江別地区の元江別緑地あたりを中心にしてあったらしい。この元江別緑地に目指す史跡の標柱を探すのだが、なかなかみつからない。それほど離れていないところにあるパン屋で聞いても、店の人は首をかしげるばかりである。

 やっとこの地域をよく知っている人に出会って聞くと、探している辺りすぐ近くを教えてくれる。緑地が雪で覆われ、標柱が白い柱であったこともあって、見つからなかったようである。標柱には「史跡 旧飛行場跡 木製戦闘機と戦争」の文字があった。江別市教育委員会が1988年に建てている。翌年の年明け早々に昭和天皇が亡くなっていて、先の戦争のある意味区切りがついた直前のことである。

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 木製の戦闘機は空中戦には参加しなかった。しかし、木製の戦闘機がアルミ製の戦闘機と戦って勝ち目があったのだろうか。似たような話で、終戦直前にベニヤ板で作られた特攻艇が造られ、連合軍艦艇が小樽上陸で現れたら、この特攻艇で攻撃する計画があった。この特攻艇を隠しておく洞窟が小樽港の近くに残っていて、小樽の秘境で取材している。先の戦争は最終段階では「木(キ)」がキーワードになっていたのである。

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