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2008年01月10日

江別キリスト村記念碑

 江別の秘境のテーマ探しで「江別キリスト村」創生の開拓史を知った。今やこの村は存在せず、記念碑が残るのみだということで、この記念碑を探しにゆく。住所は江別市東野幌704番地とだけ記されている。詳細の番地の入った地図を持ち合わせていないので、大まかな地図で見当をつけて現地で情報を得ようと出かけてみる。

 筆者のオフィスのある札幌のテクノパークから立命館啓祥高校の横を通り、江別恵庭線に出て江別の市街に向けて車を走らせる。途中の志文別で千歳川の方向に向かう。この辺りでは千歳川が江別市と南幌町の境界になっている。千歳川の土手の工事が行われていて、工事事務所で番地を聞くのだが、工事用の詳しい番地図にも載っていない。近くの農家で聞くと分るかもしれない、とのことで農家をみつけ二軒目でやっと道順を教えてもらう。

 教えられた場所に着いてみると、ここは産業廃棄物の処理場になっていて、ダンプカーが出入りし、ショベルカーが作業をしている。危険ということで一般の人は立ち入り禁止の看板が出ている。近くの事務所風の小屋に詰めている作業員に聞くと、昔ここは教会があったけれど、碑については心当たりはないとのことである。取り壊されたのでは、とも言われる。

 ここまで来てこのまま帰るのも心残りで作業現場をふらふら探していると、現場監督らしき人がきて、碑の場所を教えてくれる。確かに、これでは見落としそうになるように碑があった。保存運動でもしておかないと早晩この碑は産業廃棄物と一緒に処分されそうな雰囲気である。

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 この「キリスト村」の開墾は西村久蔵によって始められた。西村は昭和初期に札幌駅前で洋菓子店「ニシムラ」の経営で成功しており、キリスト信者であった。しかし、第二次世界大戦に主計将校として協力したことで公職追放となり、これを契機に開拓のため江別東野幌の地に入植した。行動を共にしたのは4戸であった。しかし、この地は泥炭地で農耕に適せず、苦難の末心臓病を患って、信仰と開拓の生活は三年で終わることになった。この頃、賀川豊彦は祈りを核にした共同体「キリスト村」建設の運動を起こしている。この運動と西村の開拓の実践の関係は筆者にははっきりしない。

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 1963年開拓に加わった15戸が解散し、キリスト村計画は幕を下ろした。この地での信仰に根ざした開拓史を物語る唯一の記念碑は、一方は農地として広がる雪原と片方は産廃処理のため動いている重機に挟まれて、誰の目にも留まることもなく佇んでいる。その様子は、キリスト村の開拓史が完全に風化していることを物語っている。

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comments

はじめまして。
三浦綾子さんの「愛の鬼才」を読み、西村久蔵さんの作られたキリスト村のその後が知りたくて、このHPにたどり着きました。

キリスト村は今となっては忘れ去られているのですね。
とても残念です。

写真がとても綺麗ですね。
北海道のやわらかい雪がなつかしいです。

いろいろ考えされられました。

ありがとうございました。

  • 海外在住
  • 2009年10月30日 19:20

海外在住さん 私は三浦綾子さんの「愛の鬼才」は読んではいません。キリスト村が舞台になっているのですか。
 
 このブログの記事は、そのまま拙著「江別・北広島秘境100選」(共同文化社、2008年)に載せてあります。

 著作の事もあり、テレビやラジオで江別の秘境の取材があって、このキリスト村を取材対象に推薦したのですが、一般の人の興味を惹くところでもないだろうと、取材にはいたりませんでした。

 私は信者ではありませんが、今のうちに関係者(?)が碑の保存運動でもしておかないと、この碑は早晩無くなってしまいそうです。

  • 探検隊長
  • 2009年10月30日 19:49
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