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2010年12月25日

豊足神社の潮風で荒れた肌の狛犬

 国道5号で札幌から小樽に向かう途中に、御膳水の地名がある。明治天皇の1881(明治14)年の北海道行幸に際して、天皇がこの地の沢水を飲んだということに因んでつけられた名前である。国道脇に井戸の形の碑と「御膳水宮」の文字の刻まれた祠が置かれている。
 ここの交差点からJR銭函駅に行く道が分岐していて、この道を海岸方向に下りて行くと、線路の手前に豊足神社がある。丁度線路を見下ろす位置に境内があり、線路の先に銭函駅、さらにその向こうに銭函の海が広がっている。
 神社の起こりは1780(安永9)年にまで遡るようで、石狩川の鮭漁やその近海の漁が始まると、漁の安全を祈願した神社ができ、それが再建され1876(明治9)年には社名を現在の豊足にしている。現在地には1917(大正6)年に移転している。合祀などの経緯を経て、現在の祭神は豊受姫大神、藤原三吉命、大国主大神である。

豊足神社境内

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 社殿の前に軟石製の一対の狛犬が置かれている。耳を横に伸ばし、大きな口、目にかかるような頭毛、立ち上がった尻尾のこの狛犬は、時々見かける形式のもので、同じ石工やその系列に属する石工が居た石材店が納めたもののようである。銭函の海からの塩分を含む潮風をまともに受けるせいか、歳月による風化が進んでいて、それが狛犬の表面に表れている。肌に模様があったのかどうか、荒れた石肌では判然としないところがある。阿形の牙も一本欠けている。献台のところに「銭函商工会 昭和九年六月」の文字が刻まれており、ここに坐してもう80年近くの歴史を刻んでいる。

80年 口開け続け 牙の削げ

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潮風が 肌を荒らすか 粗目(ざらめ)肌

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 豊足神社には日露戦争の時、ロシア軍が日本海に敷設した機雷がオタネ浜(現在の大浜海岸)に漂流していたものを爆破処理した残骸が奉納されている。錆止めなのか赤く塗られた鉄球の破裂したものが、忠魂碑の横に置かれている。機雷の彼方下方をJRの列車が走っていて、こちらの鉄の箱は平和の時代に活躍している。

平和時の 列車眺める 機雷かな

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