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2010年12月27日

女性による霊感が始まりの難得神社

 豊平川の東側に水車町と呼ばれる地区がある。かつて、この辺りの流れを利用した水車があったことに由来した名前である。現在は豊平川の堤防の上に豊平通が通っていて、上流の幌平橋と下流の南大橋の中間辺りで、豊平通に面したところに難得神社がある。鳥居が東側にあり、従って社殿は豊平川を背にした配置となる。
 この神社の創祀は明治末期で、中西みゆきの霊感を体験した人々が「講」を作ったのが神社の始まりだと伝えられている。社名は、豊平区にある日蓮宗の経王寺の日光上人が難得大龍神を授けたことによるとされている。その他の由緒についてはネットで調べてもはっきりしない。
 「難得」の言葉も何を意味しているのだろうか。以前、中国成都市の杜甫草堂で「難得糊塗」の文字の拓本を買い求めたことがある。糊塗(馬鹿のようにふるまうこと)は難得(難しい)といった意味で、一つの熟語である。どういう状況を説明する熟語かは長くなるので割愛するとして、この難得(中国語発音ではナンドゥ)が頭にあるのだが、社名の難得とは関係ないだろう。

難得の 社を囲み 夏木立

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鳥居には 難得とあり 水車町

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 広くはない境内には石灯篭があるだけで、狛犬や石碑はない。かろうじて神社の体裁を保っている感じである。社殿には鍵がかかっておらず、2度ほど行った時には戸を開けて内を覗くことができた。祭壇があり、上に「難得大龍王」の偏額が架けられている。横に飾られている肖像写真は中西みゆきのものだろう。神社ではあるけれど、地域の集会場の雰囲気でもある。戸のところから薄暗い室内の写真を撮っただけで、この神社の取材を終えている。

「難得大龍王」の偏額がある社殿内部

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