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2014年02月23日

HPFhito49・神棚付近代的オフィスでの大林組札幌支店長田實耕一氏

 大林組札幌支店は日本生命札幌ビルの10階にある。同社札幌支店長の田實耕一氏の話では、同ビル建設の元請が大林組であった経緯があり、店子として入居している。ゼネコンと称される企業では、仕事を請け負った受発注企業間の関係が後々まで続くので、銀行の取引関係はいうに及ばず、会社で調達するビールまで影響が及ぶ話を聞いて驚く。因みに大林組は札幌のアサヒビール工場の建設に関係したので、社内的なビールはアサヒと決まっている。したがって、サッポロビールの親睦団体への加入は遠慮するというから、一般市民には伺い知れない企業間ネットワークがある。
 大林組札幌支店の受付に、大林の名前がデザインされた大きな瓦のレプリカが飾ってあり来訪者の目を惹いている。大阪にルーツのある同社のシンボルになっているようである。支店長の田實氏の部屋に通された時、雪で覆われた北海道庁が窓から見下ろせ、見事な眺めである。同ビルの11階にある三井物産の北海道支社の角田道彦支社長の部屋から見た景色と重なる。
 三井物産は北海道支社、大林組は札幌支店と称している違いが気になる。ルーツの大林店を継承しての支店はわかるとしても、北海道支店ではなく札幌支店としている点を田實氏に聞きそびれてしまった。
 支店長室で目に止まったものに神棚があった。スーパーゼネコンと呼ばれる近代的企業の支店長室に神棚があるのが印象的である。北海道神宮の分祠(表現が適切であるかどうかわからないけれど)で、同神宮の企業内営業所みたいなものかと思う。工事現場の起工式などで神事が慣習として行われるので、ゼネコンのオフィスに神棚があっても不思議ではないのかもしれない。
 田實氏のパノラマ写真を2,3枚撮って、支社長室で雑談的インタビューである。氏は1950年の大阪生まれである。大学は信州大学の工学部というので、大学時代に信州の山にでも登っているのかと聞いてみると、大学時代は山登りとは縁が無かったとのことである。山登りは建設現場を巡る関係もあり、就職後に経験することになる。
 大学時代には陸上短距離をやり、同和問題にも首を突っ込み、子ども達相手のサークル活動を行っていた話が出てくる。北海道では同和問題といっても言葉の意味がわからない。北海道のアイヌ民族問題は、ルーツは異なる民族にあるので話はある程度理解し易い。加えて、最近はアイヌ文化を日本の中の異文化として理解することが進んできている。対して、同和問題は北海道では霧の中にあるようだ。
 大手ゼネコンに勤めているので海外勤務経験があり、シンガポールとタイの支店の行き来をした時代がある。筆者も学会でシンガポールに行った思い出があるので、セントサ島の話など出る。本島とセントサ島に架かる橋の建設にも大林組が関わった。田實氏がシンガポールで勤めていた頃はこの橋は出来ておらす、船で島に行ったそうである。
 札幌支店長として2011年の4月に赴任しているので、札幌での生活は3年間ほどになる。札幌で登った山を聞くと円山だけで、藻岩も手稲も登っていないとのこと。札幌に居る間にオフィスの窓から眺めるだけではなくこれらの山に一度は登るように勧めてみる。
 田實氏の年齢(63歳)になると退職後にすることなどを温めておられるだろうと聞いてみる。予想外の答えは、林業に関することだそうである。林業を関わっている息子さんの影響もあるらしく、国土を拓く立場のゼネコンとはある意味対極にある国土の環境保全につながる仕事を視野に入れている。
 会社に残るよりは、後進に早めに道を譲り、残された時間を確保して、新しいことにチャレンジしたいとの希望を内に秘めておられるようであった。


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(支店長室での田實耕一氏、2014・2・21)

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46年前、小樽市内支店次席に勤務時、商売柄から総合商社の動向から目が放せませんでした。
その頃、日商岩井株式会社札幌支店次長から「日商四十年の歩み」を贈呈戴き、それからというものは小説類には目もくれず、実録である社史類に嵌り込み、現在も狭い四畳半の研究室には分厚い社史だけでも15冊がダンボール箱に整理されること無く現役で貴重なスペースを占拠しております。
神棚について。
退職後の平成6年に勤務先人事部からの要請で再就職し平成22年まで、この間3回の中断を経て16年関係した札幌市内の食品製造業老舗では、毎月の初日に弥彦神社から宮司が来社し、事務所の神棚の前で社長以下事務所職員全員が祝詞と御祓いを受けておりました。
支店と支社について。
総合商社はグローバル戦略特有の形態として北海道に拠点が1箇所が多く、上記日商岩井の場合は、道内に4箇所の出張所を持って札幌支店は統括店としての格付けであり、大林組も北海道の開拓時期には札幌支店のほかに出張所が在ったのではないかとの推測です。
若し10年若ければ、大手ゼネコン5社の一角を占める大林組社史をぜひ入手したいところです。

  • 伊東 裕
  • 2014年02月28日 15:32

 社史、校史、市史、町史等の類は、人手とお金をかけて作られますが、読まれることはほとんどない書籍です。伊東さんのように何とか史に嵌る人は極少数でしょう。この類の書籍は、他人にあげる訳にもいかず、さりとて捨てる勇気も湧かず、役にも立たたずに本棚を占拠しています。

  • ブログ子
  • 2014年02月28日 17:00
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