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2006年11月26日

豊足神社の機雷

 JR銭函駅駅舎の線路を挟んで反対側の小高いところに豊足(とよたり)神社がある。神社そのものは小規模な神社といったところである。この神社には壊れた機雷が奉納されているとのことで、見に行くことにする。

 国道5号線から銭函停車場線と名づけられた道道1126号線に入り、銭函の市街地に向かう。JRの線路を横切る手前で登り道に折れると豊足神社である。村社豊足神社と彫られた門柱と石造りの鳥居があり、境内の広場がつながって、その先に本殿がある。高台になっているので、JR銭函駅を見下ろせ、その向こうに広がる銭函の海も目に入る。神社の広場の脇に忠魂碑があって、その脇に外側の鉄の覆いがめくれ内部の無い機雷の残骸が置いてある。傍にあるこの機雷の由来の説明に目を通す。

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 機雷は一九〇七年(明治四十年)頃に現在の大浜海水浴場あたりで発見されていて、爆破処理した残骸がこの機雷である。機雷は日露戦争でロシアが日本海に敷設したものだと説明されている。魚雷は発見者の家で長らく保管されていたものが、その家の移転に際して、この神社に奉納されている。

 日露戦争は一九〇四年(明治三十七年)の二月に始まって、約一年半続いている。日露戦争なのに両国の領土での戦争は行われておらず、日本海と中国の遼東半島が主戦場となっている。特に、日本海海戦がこの戦争の勝敗を決していて、当時の戦争でも魚雷は重要な兵器であったのだろう。

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 日露戦争は数年前に開戦あるいは終戦の百年記念を迎えていて、百年も経てば鉄製の魚雷は腐食してぼろぼろになってしまうだろうと思うのだけれど、神社の境内に置かれた魚雷はそんな風には見えない。ペンキで塗って錆止めをしているのだろうか。

 それにしても爆発の可能性のあるこんな機雷が海にプカプカ浮いて漂っているところを想像すると、かなり怖い。この怖い思いをしないで、夏になれば銭函や大浜の海岸に海水浴客が大挙して訪れて、短い北海道の夏の海を楽しめるのは、平和の時代に生きている恩恵を享受しているのだと思った。

comments

ここの神社の例大祭で渡御中のお神輿に乗用車が突っ込んだ事件が思い出されます。

  • hokka
  • 2006年11月29日 15:02

 そんな事件があったのですか。知りませんでした。まさか機雷とは関係はないのでしょうね。

  • aoki
  • 2006年11月29日 16:42

機雷といえば 横須賀にある戦艦三笠の甲板にも 機雷が展示して有りました ソレで作った灯篭なんかもあったような気がします

  • maronie
  • 2006年12月06日 11:33

コ私の子供の頃昭和27年銭函駅の入口に機雷が置いて在りました、。赤錆てボロボロでした。神社の物と違います。最近このことを思い出し記憶を探しています。メントを入力してください

  • 白坂民義
  • 2007年09月22日 16:26

 銭函は機雷と縁がある(あった)ところなのですね。こんなものが海に浮いているのを想像するとかなり怖いです。

  • 探検隊長
  • 2007年09月22日 17:23